2日目(5日)、朝飯前に今宮戎で少し撮影してから難波の南海そばで朝食。JRで天王寺に出て天王寺支線の線路跡を確認します。2015年にレールが撤去されてからは大きな変化はありません。このあとは平野線の廃線跡を辿るため、地下鉄谷町線で平野に向かいます。

1979(昭和54)年10月の天王寺駅前。手前のモ505は平野行きです。この時代はまだ南海の軌道線で、1年後の1980年12月1日に上町線と阪堺線は阪堺電気軌道として分離、平野線は11月26日限りで廃止となり、翌27日に地下鉄谷町線の天王寺~八尾南間が開業します。

ここは西平野電停があった所。阿倍野からここまで平野線は阪神高速松原線の高架下を走っていました。厳密にいえば線路敷に高架の脚を建てたわけです。高速道路はカーブして南に、平野線は東に直進します。

上の写真の木立の下に見えているのが、平野線の路線図を描いたモニュメント。飛田~阿倍野以外は専用軌道で、路面電車にしては駅間が長く、表定速度も高かったようです。

線路跡は背戸口公園になって内環状線まで続いています。

公園が終わったら内環状線(479号線)を横断。この道路を北(写真の右方向)に行けばJR関西本線の平野に出ます。

内環状線を渡って100mくらいの所から西平野方向を見ています。信号の奥が背戸口公園。左に続いているビルは線路跡に建っています。

上の写真に位置から振り返るとすぐ、線路跡を利用した遊歩道が始まります。

電車道らしい雰囲気です。実際の線路は複線でした。

途中の広場には平野の駅舎をイメージしたモニュメントがあり、奥の壁面にはモ205形のイラストと由来を書いたプレートがあります。このイラストは2代目で、初代はほぼサイドビュー、もっと黒っぽい色調でした。

ここ々が終点。

平野南海商店街の道路から見た所。

1979年1月に撮影。フィルムの最後のコマで、平野線の画像はこの1枚だけです。天王寺駅前あたりから乗ってきたはずですが、途中の記憶がほとんどありません。

構内配線はこうなっていました。幅が狭いところをうまく使っています。奥が1番線だったかな。ホームで恵美須町行きと天王寺駅前行きを分けていたようです。

駅前は少し寂れた平野東筋商店街が南北に続いていて、街路灯のプレートには今でも南海の文字が残っています。

平野線が廃止されてから41年になるから、地元でも実際に乗ったという経験があるのは60代以上でしょう。それなのにいまだ南海の文字が残っているのはよほど南海に恩義を感じているのか、それとも書き換える手間を惜しんでいる(その金もない)だけなのか。
この通りの途中から東に延びる平野中央本通商店街は年代物の建物があったりで、街歩きファンには見逃せません。私も少し歩いて見ましたか、それは稿を改めて紹介します。

1979(昭和54)年10月の天王寺駅前。手前のモ505は平野行きです。この時代はまだ南海の軌道線で、1年後の1980年12月1日に上町線と阪堺線は阪堺電気軌道として分離、平野線は11月26日限りで廃止となり、翌27日に地下鉄谷町線の天王寺~八尾南間が開業します。

ここは西平野電停があった所。阿倍野からここまで平野線は阪神高速松原線の高架下を走っていました。厳密にいえば線路敷に高架の脚を建てたわけです。高速道路はカーブして南に、平野線は東に直進します。

上の写真の木立の下に見えているのが、平野線の路線図を描いたモニュメント。飛田~阿倍野以外は専用軌道で、路面電車にしては駅間が長く、表定速度も高かったようです。

線路跡は背戸口公園になって内環状線まで続いています。

公園が終わったら内環状線(479号線)を横断。この道路を北(写真の右方向)に行けばJR関西本線の平野に出ます。

内環状線を渡って100mくらいの所から西平野方向を見ています。信号の奥が背戸口公園。左に続いているビルは線路跡に建っています。

上の写真に位置から振り返るとすぐ、線路跡を利用した遊歩道が始まります。

電車道らしい雰囲気です。実際の線路は複線でした。

途中の広場には平野の駅舎をイメージしたモニュメントがあり、奥の壁面にはモ205形のイラストと由来を書いたプレートがあります。このイラストは2代目で、初代はほぼサイドビュー、もっと黒っぽい色調でした。

ここ々が終点。

平野南海商店街の道路から見た所。

1979年1月に撮影。フィルムの最後のコマで、平野線の画像はこの1枚だけです。天王寺駅前あたりから乗ってきたはずですが、途中の記憶がほとんどありません。

構内配線はこうなっていました。幅が狭いところをうまく使っています。奥が1番線だったかな。ホームで恵美須町行きと天王寺駅前行きを分けていたようです。

駅前は少し寂れた平野東筋商店街が南北に続いていて、街路灯のプレートには今でも南海の文字が残っています。

平野線が廃止されてから41年になるから、地元でも実際に乗ったという経験があるのは60代以上でしょう。それなのにいまだ南海の文字が残っているのはよほど南海に恩義を感じているのか、それとも書き換える手間を惜しんでいる(その金もない)だけなのか。
この通りの途中から東に延びる平野中央本通商店街は年代物の建物があったりで、街歩きファンには見逃せません。私も少し歩いて見ましたか、それは稿を改めて紹介します。








