モハメイドペーパーの      何が出てくるか2

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鉄道全般

鉄道強要講座(相鉄の他社乗入れ用形式)

 3月18日から東急と相鉄の相互乗入れが開始され、相鉄の車両は東急東横線、目黒線を経由して東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道、都営地下鉄三田線に乗入れるようになりました。すでに2019年からはJRとの相互乗入れも行われていて、それぞれに専用の形式が誕生していますが、どれもよこはまネイビーブルーと呼ばれる塗色でちょっと見には区別が付きにくい。そんな2形式を簡単に見分けるポイントを学習してみましょう。

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まずはJR乗入れ用の12000系から。塗装されているし側面はビードも継ぎ目も見えないけれど、ステンレス製でメーカーは総合車両製作所。メカ的には乗入れ先のJR東日本E233系と同じで、裾を絞った広幅車体に前面は非貫通、編成も6M4Tの10連です。2019年2月に第1編成が竣工し、6本が在籍しています。

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東急乗入れ用は2形式に分けられています。これは東横線用の20000系で、現在は地下鉄副都心線~有楽町線の和光市まで乗入れています。メーカーは日立製作所で、A-train仕様のアルミ車体。地下鉄の限界に合わせて車体幅が2800mmを切るのでストレートな断面、前面は非常用扉付き。12000系と共通のデザインポリシーで窓下にクルマのフロントグリルのような飾りが付いています。
編成は5M5Tの10連、パンタが5個上がっているのが確認できますね。メカ的には東京メトロの17000系がベースかと思ったのですが、モーター出力は190kWで東急5000系列と同じ、ギア比の6.06はJRのE233系と同じで、特にベースとなる形式はないようです。第1編成は先行試作として12000系より1年早い2018年2月に竣工しており、7本が在籍しています。

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こちらは目黒線用の21000系で、4M4Tの8連が7本在籍。西武鉄道の30000系などは10連に対して8連を50番代で区別していますが、相鉄では別形式としています。運用も別になるからその方が管理しやすいのでしょう。20000系と見分けるポイントは前面だと2箇所あります。写真右の赤丸は8連を示す8CARSの表示。左は編成番号で、10連の001~007に対し8連は101~107となっています。側面だと車号を見て1000位が0か1かで区別できます。
 東京都を越えて埼玉県内まで乗入れるようになった相鉄も、車両は自社線内専用、JR乗入れ用、東急東横線乗入れ用、東急目黒線乗入れ用の4グループとなり、それぞれに予備車が必要となるのは痛し痒しというところ。性能的にはE233系仕様で用が足りるはずですが、乗入れ先の事情もあって単純に機器統一はできないのでしょう。

昭和36年夏の記録(2)

 せっかく発掘したネガなので、周りがどういおうとお構いなく、まともなやつを全部公開します。撮影は昭和36年の6~8月、セミ判、距離計なしのカメラなので、ピントが甘いのは目を瞑ってください。

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東武鉄道の小菅から常磐線の鉄橋を写しています。C62が牽く上り列車が通過。客車の3両目が並ロのように見えます。

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東武の北千住~牛田間、ここからT字形に京成の線路を潜る線路もありました。入換え中の蒸機(ピーテンか)がちょうどよい位置に来たと思ったら、見事に煙幕を張られました。

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上野駅の地上ホームで入換え中の電機はEF53。まだ高崎線で現役だったのか。

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見上げた高架ホームに常磐線の各停が到着。思わずシャッターを切ったのはクハニ67だったからでしょう。

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これは地平の12番線あたりかな。EF57狙いですが、今見ればとなりに80系が写っているのが涙ものです。

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定番の鶯谷で捕らえた特急「とき」。運転室上に前照灯があるから161系ですね。

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常磐線の旧国、左端が切れましたがモハ30です。両運のモハ40からの改造なので、連結面寄りの窓位置がサハ57とは異なります。一族5両のうち4両が常磐線(松戸)、1両が総武線(津田沼)に配置されていました。

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80系に併結されているクハ47。サハ48からの改造車で、宇都宮に2両くらい配置されていたはず。トイレも付いているから特に問題はなかったのでしょう。サハ48の組込もありました。
 昭和36年の記録、もう少しネタがあるので続けます。

*追記
 「とき」の運転開始は昭和37年6月なので、3コマ目以下の画像は同年夏頃の撮影となるようです。

複雑なポイント

 このところOER3001さま、Cedarさまのブログが複雑なポイントで盛上がっているようなので、私も便乗させてもらいます。といってもたまたまセミ判ネガの複写で発掘された写真があったという一発勝負です。

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西武鉄道新宿線の上石神井、昭和36年4月の撮影です。上下本線の間に双方向に使える中線があるという配線は昔も今も同じ。その中線から西武新宿方向を見たところで、直線の先は引上げ線です。当時、複合分岐ではない純正の三線分岐は国鉄の操車場で使われているくらいで、実物を見たのはこれが初めてです。

昭和36年夏の記憶

 昭和36(1961)年、私は高校1年生でした。写真部に入ったものの使えるカメラはセミ判でピント合わせは目測式のスプリングカメラしかなく、フィルム1本(16枚)撮っても適正露出でピントも合っているコマは半分あればいい方という状態でした。今回の画像も大半が甘ピンですが、それでも写っていること自体が貴重なものもあるので、片目をつぶって雰囲気重視でご覧ください。

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夏休みなので早起きして、中央線の一番電車で出かけました。市ヶ谷の外濠です。狙ったわけではないですが、見事な水鏡になっています。中央線はすべて101系になっていますから、これは総武線直通の列車です。

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都電の新田裏、大久保車庫から出庫したところで、ポイントを換えて回送線を新宿駅前に向かうのでしょう。

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玉電の上通りあたりと思います。時間は8時頃かな。

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新宿、右奥に文化服装学院の円形校舎が見えています。

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御茶ノ水に近いあたり、神田川はかなり澱んでいるのがわかります。この頃は糞尿運搬船が行き来していました。101系と配給電車が並走しています。

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これは別の日で小田急参宮橋の下りホーム。ちょうど通学時間の頃はワシントンハイツに勤務する人の降車が多く、跨線橋がなかったので構内踏切を急ぎ足で渡っていました。個人的にはこの時代の2220形の前面が一番気に入っています。

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一度発表していますが、中野で折り返す総武線の各停。当たり前に見られた光景とはいえ、雨の日なんかは大変ですね。クモハ73は運行番号窓が2桁なので、津田沼電車区の所属を表す「C」を書き加えています。

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ボケボケは承知の上で小田急の経堂。デトがSE車を1両だけ牽いて入換え中です。今ならすかさず連結面も撮りますが、カメラ裏面の赤窓を見ながらのフィルム巻上げ、シャッターもその都度セットでは、連写なんてとうていできません。

 話変わって、大井川鐵道が今月いっぱい、本線を大幅減便としたそうです。朝方の3本を電車で運転する以外はバス代行、それも昼間は運休となります。電車の1本は新金谷発の金谷行だから、実質金谷~千頭間の1往復のみ。線路の錆取りみたいなものでしょう。これでそこそこ用が足りてしまうとしたら、鉄道の存在意義が危うくなってしまいます。

鉄道強要講座(パンタグラフは何色か)

〇〇は忘れた頃にやってくる、それはこの強要講座のためにあるような言葉です。書いている本人も前回がいつだったか忘れていて、ちょっと調べたら2018年1月以来なので、2年以上のご無沙汰です。 
 で、今回のテーマはパンタグラフの色、何色だろうと電気が取れればいいのですが、模型を作る者にとっては結構頭を悩ます問題なのです。

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また同じ写真が出てきましたが、今回はパンタに注目してください。どう見ても黒ですね。少なくとも昭和40年代前半まで、PS13だとかPS11などの旧型は黒。私鉄も旧型(PT35あたりまで)はほとんどが黒でした。

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同時代の電機はというと、枠組は銀、フレームは黒という手の込んだ細工をしています。電車では151系とか153系に採用されたPS16が銀色で、これが非常に格好よく見えました。

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新性能車の元祖である101系はクモハ100、モハ100とも初期の50両くらいはPS13が付いていました。量産車は通風器もグロベンになったので、内心「72の全金車とたいして変わらないじゃないか」とガッカリしたものです。銀色のPS16になった101系を初めて見た時は、感激のあまり小便をチビリそうになりました。以来、私の頭には「パンタは銀に限る、銀でなくてはならない、銀でなければパンタとは認められない」という思いが焼き付けられたのです。

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時代は移り、昭和50年代あたりから、いつの間にか首都圏の電車のパンタはグレーになっていました。この張本人は大井工場のようで、ベンチレーターのグレーと共通化したものと思われます。大井工場は独創的な改造を行ったりしますが、急行形サロの回送運転台がある妻面を1色塗りにしたり、クハ153の前面幌当て座のステンレス枠を塗りつぶしたりと、いろいろな手抜きを実行しています。

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国鉄末期でも首都圏以外の郡山工場や長野工場はパンタを銀に塗るという伝統を守っていました。中央線の荷電は三鷹電車区のクモニ83はグレー、松本運転所のクモユニ82は銀という違いが見られました。JRになると電機、電車の区別なく、ほとんどがグレーになってしまいます。

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手前の予備パンタは汚れていないので、グレーなのがよくわかります。

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これもやや明るい目のグレーです。

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最近のパンタは枠組がステンレスになり、その部分は塗装が省略されています。フレームはグレーですが、汚れが付くと違いがわからなくなります。

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E257系は何故か黄色でした。「く」の字の部分はステンレスで無塗装です。新製時はグレーだったと思うので、なんらかの意図があって黄色にしたのでしょう。

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JR以外を見てみましょう。秩父の電機はグレー。

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岳南の電機、かなり明るいグレーです。

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ポッポの丘に保存されている元銚子電鉄のデハ701。これは塗ったばかりでギンギンです。

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都電も銀でした。

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西武101系。枠組以外は銀色のようです。

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西武6000系。枠組はステンレスのようです。フレームの横を黄色く塗っているのは、パンタ間の引通しがあるので、畳んでいても電気が来てる可能性があるから注意するようにという意味です。

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阪急6000系。枠組はグレーなのかステンレスの地肌なのかははっきりわかりません。フレームは銀のようです。

 ということで、最近のパンタは塗装と無塗装の部分が入り混じっています。模型でこれを正直に再現しようとすると、結構手間を食うことになりますが、そこまでの違いがわかる人は少ないでしょう。蛇足ですが、過去には東武がパンタを濃いめの青に塗っていたことがありました。京成も昔は台車と同様の緑が入ったグレーだったし、南海の11001系も新製時は床下も含め、車体と同じライトグリーンだったと聞いています。209系が出て間もなく、運転室からパンタを確認しにくいというので、試験的に枠組をオレンジに塗ったことがありました。
 以前の玉電製作記でOER3001氏さまからパンタの色についての突っ込みがありましたが、その理由は101系の項で書いたように、銀色のPS16の印象が非常に強烈だったからなのです。
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