DF200の貨物列車を撮ったら四日市駅前に戻ります。ここで13時にシグ鉄さんと待ち合わせ。駅前はだだっ広く車の往来も少ないので(早い話、活気がなく、寂れている)、待ち合わせには最適です。6月以来の再会で、早速、目的地に向かいます。四日市といったらあれ、いつもピンと跳ね上がっている橋です。

時間に余裕があるので、専用線の先まで一回りしてから現場に到着。ここを通過する列車は1日2往復なので、橋はこの状態が定位になっています。しかし、1時間ほどいても鉄橋に支障するような船は通りません。

正面から見たところ。バランスウエイトが降りて、車止め代わりになっています。

末広橋梁というのが正式名です。画像拡大できるので、興味がある方は説明文を読んでみてください。

奥が四日市駅方向。運河の水位が上がった時は線路部分が防潮扉で閉鎖されます。

13:37、シグ鉄さんのレポートどおりに係員がきて昇降スイッチを操作し、橋桁がゆっくりと降りてきました。

これは30代くらいの角度か。

降下開始から2分弱で列車が通れる状態になりました。係員はこの先の踏切に向かっています。

13:59、DF200が姿を現しました。手前のオジサンはちょっと前から釣りを始め、貨物列車は眼中にないようです。

歩くのより少し速いくらいで、ゆっくり渡って行きます。

渡りきるまで約2分。この先はカーブしているので、フランジが盛大に軋んでいます。

末端での機関車付替え作業も興味深いのですが、途中の踏切が閉まりっぱなしだと近寄れないかも知れないので、そのまま待ちます。14:13、戻ってきました。

空の貨車だからジョイント音も軽い。

ここで一旦停止、誘導員が右側から左側に移って発車しました。

14:15、空荷だから結構加速はよかった。

14:27、係員が戻ってきて、橋が上がり始めます。

桁とレールで何トンくらいなんだろうか。バランスウエイトがあるからそこそこの力で上げ下げできるはず。

14:28、一連のショーは終わり。いやいや、なかなかの感動ものでした。

あとは名古屋に戻るだけですが、おまかせコースで数箇所、寄り道して行きます。一番目は三岐鉄道で車両基地のある保々。鉄道は近鉄富田で乗り換えになるけど、車は30分そこそこで到着。こんなに近いの!という感じでした。奥にいる電機は車号が読めない。

これは吊掛モーターだから電機用のMT40でしょう。

庫の中にいたのは左がED5082、奥がED301。ED301は元南海のED5201形で、東藤原のセメント工場の入換え用だから、普段はなかなかお目にかかれません。

電機はED453。東洋電機製の初期車で、車体裾に丸みがあるのが特徴です。奥の赤電は801系(元西武701系)の803編成。

元東武のED5081。庫にいたED5082とともに東武時代の車号のままで、運転席も左側にあります。三岐の電機では異端車なので、ED45形と重連を組むことはない。

3連なので冨田寄りはクモハになっています。これはクハを電装したのかな。ぬか屋さんが関わっているはず。

踏切から。構内の配線は数十年前に来た時からほとんど変わっていないようです。

上りの副本線に貨物列車が停車停車しています。運転士が乗込んだから、まもなく発車するのでしょう(と期待する)。

15:31、踏切が閉まってED454+ED457の下り貨物列車が通過。ED454は東洋工機製で富山地鉄からの譲渡車、ED457は西武所沢工場製で、車体細部は製造時期とメーカーにより微妙な違いがあります。

約2分後に上りも発車。ED451と次位は車号が読めない。三岐の電機は右側運転台が定位なのです。

さらに15分ほどで上り列車。101-102の旧三岐色復刻編成で、この色は見た覚えがあります。構図的には後追いの方がすっきりするけど、なんと今は振り向いたすぐ後を新名神がオーバークロスしているのです。

30分ほどで三岐(本線)を切上げて名古屋方面に向えば、次に出会うのが北勢線の東員ですが、どうせならと車庫のある北大社を目指しました。元の駅近くの空き地で北大社の駅名標を発見。

検修庫と反対側の留置線に172-147-272が昼寝していました。元クの172にモーター2個を移し、全車冷房化されています。

かつてのホーム付近を通過する桑名行き134-135-276の3連。134と135は元バス窓で片側は運転室準備仕様でした。この編成は全車非冷房です。

同じ編成の後追い。昭和40年だったか、初めて北勢線に来て連接の200形と出会い、慌てて改札口を飛び出してなんとか後追いを撮ったのがこの踏切です。左手前には側線があり、ボギーの無蓋車が留置されていました。

となり(画面右)の東員で交換する列車が見えたので待ち構えます。271-146-171でこれも全車冷房車。三重交通色復刻編成を待っていると陽が暮れてしまいそうなので、北勢線はこれまでとします。

だいぶ陽が傾いてきましたが、最後の立寄りは養老鉄道の多度。近鉄時代に一度乗っているけど、この駅はまったく記憶にありません。時刻は17時前、20分ほどで上下列車が撮れそうです。

すぐに来たのは大垣行きの604編成。見てのとおり、京急色です。ここでも方向感覚が狂い気味で、どちらが大垣方面なのか、何度も確認しました。

2連でも引きがとれない。

2本目の桑名行きは駅近くの鉄橋から。元東急を期待したけど来たのは近鉄車。おまけに3連だから画面に入りきらない。だいぶ暗くなってきたので撮影はここまでとします。四日市からの帰り道に三岐の本線くらいは寄れるかなと思っていたのですが、北勢線と養老鉄道まで回れたのは正に車だったからこそ。シグ鉄さん、ありがとうございます。当分、名古屋方向には足を向けて寝られません。
この日の泊まりは久屋大通のくれたけイン。6月にも泊まったから場所はわかっているし、車を降りた所からもテレビ塔が見えたから、あとはちょっと歩くだけです。ところが、栄の地下街で晩飯でもと歩き回っているうちにまたまた方向感覚を失い、地上に出ても錦通との交差点をうろうろするばかり。結局、歩いて行ける距離を地下鉄に一駅乗り、やっとの思いでくれたけインに到着。名古屋を甘く見てはいかんということを身をもって実感させられた1日でした。

時間に余裕があるので、専用線の先まで一回りしてから現場に到着。ここを通過する列車は1日2往復なので、橋はこの状態が定位になっています。しかし、1時間ほどいても鉄橋に支障するような船は通りません。

正面から見たところ。バランスウエイトが降りて、車止め代わりになっています。

末広橋梁というのが正式名です。画像拡大できるので、興味がある方は説明文を読んでみてください。

奥が四日市駅方向。運河の水位が上がった時は線路部分が防潮扉で閉鎖されます。

13:37、シグ鉄さんのレポートどおりに係員がきて昇降スイッチを操作し、橋桁がゆっくりと降りてきました。

これは30代くらいの角度か。

降下開始から2分弱で列車が通れる状態になりました。係員はこの先の踏切に向かっています。

13:59、DF200が姿を現しました。手前のオジサンはちょっと前から釣りを始め、貨物列車は眼中にないようです。

歩くのより少し速いくらいで、ゆっくり渡って行きます。

渡りきるまで約2分。この先はカーブしているので、フランジが盛大に軋んでいます。

末端での機関車付替え作業も興味深いのですが、途中の踏切が閉まりっぱなしだと近寄れないかも知れないので、そのまま待ちます。14:13、戻ってきました。

空の貨車だからジョイント音も軽い。

ここで一旦停止、誘導員が右側から左側に移って発車しました。

14:15、空荷だから結構加速はよかった。

14:27、係員が戻ってきて、橋が上がり始めます。

桁とレールで何トンくらいなんだろうか。バランスウエイトがあるからそこそこの力で上げ下げできるはず。

14:28、一連のショーは終わり。いやいや、なかなかの感動ものでした。

あとは名古屋に戻るだけですが、おまかせコースで数箇所、寄り道して行きます。一番目は三岐鉄道で車両基地のある保々。鉄道は近鉄富田で乗り換えになるけど、車は30分そこそこで到着。こんなに近いの!という感じでした。奥にいる電機は車号が読めない。

これは吊掛モーターだから電機用のMT40でしょう。

庫の中にいたのは左がED5082、奥がED301。ED301は元南海のED5201形で、東藤原のセメント工場の入換え用だから、普段はなかなかお目にかかれません。

電機はED453。東洋電機製の初期車で、車体裾に丸みがあるのが特徴です。奥の赤電は801系(元西武701系)の803編成。

元東武のED5081。庫にいたED5082とともに東武時代の車号のままで、運転席も左側にあります。三岐の電機では異端車なので、ED45形と重連を組むことはない。

3連なので冨田寄りはクモハになっています。これはクハを電装したのかな。ぬか屋さんが関わっているはず。

踏切から。構内の配線は数十年前に来た時からほとんど変わっていないようです。

上りの副本線に貨物列車が停車停車しています。運転士が乗込んだから、まもなく発車するのでしょう(と期待する)。

15:31、踏切が閉まってED454+ED457の下り貨物列車が通過。ED454は東洋工機製で富山地鉄からの譲渡車、ED457は西武所沢工場製で、車体細部は製造時期とメーカーにより微妙な違いがあります。

約2分後に上りも発車。ED451と次位は車号が読めない。三岐の電機は右側運転台が定位なのです。

さらに15分ほどで上り列車。101-102の旧三岐色復刻編成で、この色は見た覚えがあります。構図的には後追いの方がすっきりするけど、なんと今は振り向いたすぐ後を新名神がオーバークロスしているのです。

30分ほどで三岐(本線)を切上げて名古屋方面に向えば、次に出会うのが北勢線の東員ですが、どうせならと車庫のある北大社を目指しました。元の駅近くの空き地で北大社の駅名標を発見。

検修庫と反対側の留置線に172-147-272が昼寝していました。元クの172にモーター2個を移し、全車冷房化されています。

かつてのホーム付近を通過する桑名行き134-135-276の3連。134と135は元バス窓で片側は運転室準備仕様でした。この編成は全車非冷房です。

同じ編成の後追い。昭和40年だったか、初めて北勢線に来て連接の200形と出会い、慌てて改札口を飛び出してなんとか後追いを撮ったのがこの踏切です。左手前には側線があり、ボギーの無蓋車が留置されていました。

となり(画面右)の東員で交換する列車が見えたので待ち構えます。271-146-171でこれも全車冷房車。三重交通色復刻編成を待っていると陽が暮れてしまいそうなので、北勢線はこれまでとします。

だいぶ陽が傾いてきましたが、最後の立寄りは養老鉄道の多度。近鉄時代に一度乗っているけど、この駅はまったく記憶にありません。時刻は17時前、20分ほどで上下列車が撮れそうです。

すぐに来たのは大垣行きの604編成。見てのとおり、京急色です。ここでも方向感覚が狂い気味で、どちらが大垣方面なのか、何度も確認しました。

2連でも引きがとれない。

2本目の桑名行きは駅近くの鉄橋から。元東急を期待したけど来たのは近鉄車。おまけに3連だから画面に入りきらない。だいぶ暗くなってきたので撮影はここまでとします。四日市からの帰り道に三岐の本線くらいは寄れるかなと思っていたのですが、北勢線と養老鉄道まで回れたのは正に車だったからこそ。シグ鉄さん、ありがとうございます。当分、名古屋方向には足を向けて寝られません。
この日の泊まりは久屋大通のくれたけイン。6月にも泊まったから場所はわかっているし、車を降りた所からもテレビ塔が見えたから、あとはちょっと歩くだけです。ところが、栄の地下街で晩飯でもと歩き回っているうちにまたまた方向感覚を失い、地上に出ても錦通との交差点をうろうろするばかり。結局、歩いて行ける距離を地下鉄に一駅乗り、やっとの思いでくれたけインに到着。名古屋を甘く見てはいかんということを身をもって実感させられた1日でした。