OER3001氏が11月24日付けのブログで首都圏最後の蒸機列車を取上げたのがきっかけで、ぼっちぼちさん、ぬか屋さんもその時の模様をアップされています。まぁ、ほぼ同年代なので大体同じような行動をしているわけで、私も急遽、その時のネガを探してスキャンしてみました。

実はこの年(1970年)の10月、私は弘済出版社に入社したばかりで、仕事としてこの列車に乗ることになりました。これは恐らく初日の10月10日でしょう。まだ乗ってはいません。品川に到着した上り列車のようです。

大変な人出です。

特製のサボがかかっていました。

実際に乗ったのは雨降りだったから、最終日の18日のようです。東京駅の10番線で新幹線と並んでいます。それにしてもデッキにまでギュー詰めの状態で走ったのだろうか。

乗ったのは品川で見たのと同じ車両でした。編成はすべて狭窓のスハ32で揃っていたようです。

大井町で停車中の京浜東北線を追抜きます。窓全開で車体が傾いているんじゃないかな。

大井町を過ぎたところ。横断橋の上もびっしり。ホームの端から線路に降りているのもいます。これはちょっとまずいぞ。

これは高島線内ですね。艀の上からカメラ構えて、えぇ根性しとるな。

横浜港に到着。ノーファインダーで撮っているけど、なんとか機関車のナンバーが写っています。

到着が11:39、出発が14:26。3時間近く間が開きます。

昼飯時なので崎陽軒が店を出していました。

DD13が来て、客車を一旦引上げます。

この頃、雨は止んでいました。

14時頃(だろうと思う)、D51が戻って来ました。

客車に連結します。

「鉄」に囲まれています。このあと横浜港のホームに据付けられたのかどうか、そのあたりの記憶がありません。

復路は乗車しないで出発を見送りました。これで仕事は終わりです。

人の波が引いてから近所を歩き回っていたら、思わぬものを発見しました。後ろの煙突は別物です。

これ、先日の90万アクセスの追加分にしておきます。1964年の新幹線開業に備えて完成した車両を現在線で甲種輸送することになり、それに先だって限界を測定するためにオハ61を改造したものです。

実はこの年(1970年)の10月、私は弘済出版社に入社したばかりで、仕事としてこの列車に乗ることになりました。これは恐らく初日の10月10日でしょう。まだ乗ってはいません。品川に到着した上り列車のようです。

大変な人出です。

特製のサボがかかっていました。

実際に乗ったのは雨降りだったから、最終日の18日のようです。東京駅の10番線で新幹線と並んでいます。それにしてもデッキにまでギュー詰めの状態で走ったのだろうか。

乗ったのは品川で見たのと同じ車両でした。編成はすべて狭窓のスハ32で揃っていたようです。

大井町で停車中の京浜東北線を追抜きます。窓全開で車体が傾いているんじゃないかな。

大井町を過ぎたところ。横断橋の上もびっしり。ホームの端から線路に降りているのもいます。これはちょっとまずいぞ。

これは高島線内ですね。艀の上からカメラ構えて、えぇ根性しとるな。

横浜港に到着。ノーファインダーで撮っているけど、なんとか機関車のナンバーが写っています。

到着が11:39、出発が14:26。3時間近く間が開きます。

昼飯時なので崎陽軒が店を出していました。

DD13が来て、客車を一旦引上げます。

この頃、雨は止んでいました。

14時頃(だろうと思う)、D51が戻って来ました。

客車に連結します。

「鉄」に囲まれています。このあと横浜港のホームに据付けられたのかどうか、そのあたりの記憶がありません。

復路は乗車しないで出発を見送りました。これで仕事は終わりです。

人の波が引いてから近所を歩き回っていたら、思わぬものを発見しました。後ろの煙突は別物です。

これ、先日の90万アクセスの追加分にしておきます。1964年の新幹線開業に備えて完成した車両を現在線で甲種輸送することになり、それに先だって限界を測定するためにオハ61を改造したものです。































