昨日(28日)、天気もよくて暖かとなれば家に籠ってはいられません。取敢えずの目的地は品川です。

品川駅の西側にに聳えるホテルパシフィック(今はシナガワグースというらしい)は今年の3月31日限りで閉館し、11月から取壊しが始まります。最後に感謝の気持ちを表そうという従業員の発案で、22日から窓にアリガトウの文字とハートが描かれているそうで、私は泊まったこともないけど、ネットのニュースで見て、話のタネにと出かけた次第。もう少し陽が回って全体が日陰に入った方が文字とマークがはっきり見えそうだけど、それを待つほどヒマじゃありません。なお、文字とマークは29日限りで撤去されたそうです。

ここは飲食店などが入った2階建てのビルでした。京急が地平に降りて駅の一部になるのでしょう。これだけで帰るのは早いので、第一京浜を渡って西側を田町に向かって歩きます。

少し歩いたら「この先、車は通れません」という横道があり、奥に寺の門らしきものが見えました。

臨済宗妙心寺派の東禅寺というお寺です。

日本で最初にイギリス公使館として使用されたということで、国指定史跡になっています。

参道は鬱蒼としています。

品川駅から5分くらいの所とは思えません。

三重の塔があります。カンカン照りの逆光なので、ゴーストが出るのはどうしようもない。

これが本堂? どこにも賽銭箱が見当たらなかった。

鐘撞き堂もあります。

山門の前を右に入ると、かなりの急坂が現れます。電チャリでも大変そうだな。

洞坂(ほらざか)だそうです。

上の写真の奥が坂の頂点で、右折すると下りになり、広い道に出ます。

桜田通りから下ってくる桂坂。

第一京浜に突当たる所に道標があります。

名前の由来も書かれています。

北に向かって歩くと、ビルの奥に鳥居が見えます。

高輪神社。境内は狭いけど、社殿は立派な造りです。

泉岳寺前で第一京浜を東側に渡ります。ここまで来たのはその後の提灯殺しのガードがどうなっているかを見たかったから。今は「おばけトンネル」と呼ばれているらしい。

西側の線路がなくなった部分は田町寄りに移動していて、高輪大木戸跡のすぐ脇が出入り口になっています。

青線が本来の通路、赤線が現在の通路です。

途中の通路からは柵越しに貴重な遺跡が見えます。最初に鉄道が開業した時、海の上に築堤を築いて線路を通したそうで、その石垣がこれ。高輪ゲートウェイ駅が開業するまでは、山手線、京浜東北線の線路が敷かれていた所です。

その先で右折すれば、なつかしいあのガードに出ます。

私の目の高さから撮影。165cmの私の頭の上は握り拳2個分くらいの隙間があります。

右の人の背丈は私と同じくらい、左の人は175cm以上ありそうで、背中をかがめています。

第一京浜に戻って少し歩くと、こんな銅像がありました。老いた母親を背負って神社参拝の階段を上る笹川良一で、昔は大久保の海洋会館の前にあり、仕事場への通り道だったので毎日見ていました。いつのまにかなくなっていると思ったら、ここに移されていたのですね。

札の辻の三叉路。ビルの隙間から東京タワーが辛うじて見えます。昔はこの通りを都電の3番が走っていました。ここまで来れば田町駅はすぐそこ。今日の街歩きはここまでとします。

品川駅の西側にに聳えるホテルパシフィック(今はシナガワグースというらしい)は今年の3月31日限りで閉館し、11月から取壊しが始まります。最後に感謝の気持ちを表そうという従業員の発案で、22日から窓にアリガトウの文字とハートが描かれているそうで、私は泊まったこともないけど、ネットのニュースで見て、話のタネにと出かけた次第。もう少し陽が回って全体が日陰に入った方が文字とマークがはっきり見えそうだけど、それを待つほどヒマじゃありません。なお、文字とマークは29日限りで撤去されたそうです。

ここは飲食店などが入った2階建てのビルでした。京急が地平に降りて駅の一部になるのでしょう。これだけで帰るのは早いので、第一京浜を渡って西側を田町に向かって歩きます。

少し歩いたら「この先、車は通れません」という横道があり、奥に寺の門らしきものが見えました。

臨済宗妙心寺派の東禅寺というお寺です。

日本で最初にイギリス公使館として使用されたということで、国指定史跡になっています。

参道は鬱蒼としています。

品川駅から5分くらいの所とは思えません。

三重の塔があります。カンカン照りの逆光なので、ゴーストが出るのはどうしようもない。

これが本堂? どこにも賽銭箱が見当たらなかった。

鐘撞き堂もあります。

山門の前を右に入ると、かなりの急坂が現れます。電チャリでも大変そうだな。

洞坂(ほらざか)だそうです。

上の写真の奥が坂の頂点で、右折すると下りになり、広い道に出ます。

桜田通りから下ってくる桂坂。

第一京浜に突当たる所に道標があります。

名前の由来も書かれています。

北に向かって歩くと、ビルの奥に鳥居が見えます。

高輪神社。境内は狭いけど、社殿は立派な造りです。

泉岳寺前で第一京浜を東側に渡ります。ここまで来たのはその後の提灯殺しのガードがどうなっているかを見たかったから。今は「おばけトンネル」と呼ばれているらしい。

西側の線路がなくなった部分は田町寄りに移動していて、高輪大木戸跡のすぐ脇が出入り口になっています。

青線が本来の通路、赤線が現在の通路です。

途中の通路からは柵越しに貴重な遺跡が見えます。最初に鉄道が開業した時、海の上に築堤を築いて線路を通したそうで、その石垣がこれ。高輪ゲートウェイ駅が開業するまでは、山手線、京浜東北線の線路が敷かれていた所です。

その先で右折すれば、なつかしいあのガードに出ます。

私の目の高さから撮影。165cmの私の頭の上は握り拳2個分くらいの隙間があります。

右の人の背丈は私と同じくらい、左の人は175cm以上ありそうで、背中をかがめています。

第一京浜に戻って少し歩くと、こんな銅像がありました。老いた母親を背負って神社参拝の階段を上る笹川良一で、昔は大久保の海洋会館の前にあり、仕事場への通り道だったので毎日見ていました。いつのまにかなくなっていると思ったら、ここに移されていたのですね。

札の辻の三叉路。ビルの隙間から東京タワーが辛うじて見えます。昔はこの通りを都電の3番が走っていました。ここまで来れば田町駅はすぐそこ。今日の街歩きはここまでとします。