京王電鉄井の頭線で渋谷の次の駅が神泉。トンネルの中の駅として知る人ぞ知るという存在です。井の頭線は高校生の頃から何度も乗っていますが、ついぞ神泉に降りたことはありません。今もこの駅に特段の用事があるわけではないけど、ふと思い立って26日に出かけみました。

神泉です。その昔、駒場と東大前は別の駅で、駅間が短いために統合されています。

吉祥寺寄りから渋谷寄りを見たところ。今は20m車の5連が止まりますが、私が高校生の頃は18m車3両分しかホームがなく、3000系が入っても吉祥寺寄りの1両は締切扱いでした。

昔の記憶を辿ってみると、渋谷寄りの2両分くらいはオープンで、吉祥寺寄りがトンネルに突っ込む形でした。今も線路間に残る柱はそのトンネルの支柱なのです。

吉祥寺寄りの端っこ。このあたりはホームを延長するためトンネルを拡幅しました。天井をみると線路間の支柱を撤去した跡がわかります。

オープン部分に新しい駅舎となるビルを建てたので、現在はホームすべてがトンネルの中のようになっています。

日が射すのは踏切のところだけ。20m車1両分くらいです。

ホームからもいろいろとおもしろいカットが撮れます。急行は通過するので注意。

何本目かの吉祥寺行きを見送って駅の外に出ます。

ラッチ内から見た改札口。右が南口、左が北口になります。通路にパン屋とコンビニがあります。

連絡通路から。奥が北口、まずは南口(手前)に出てみましょう。

ここはビルの中を通った裏口みたいな感じです。

正規?の南口は坂の途中です。

下から見ればこんな感じ。結構急な坂道で、駅は神泉町、左は円山町になります。

駅名標が中途半端な所に取付けられています。

やっと電車を写します。1両分も画面に入らない。Cedarさんの真似をするわけではないけど、ここはどう足掻いても隙間電車しか撮れないのです。

吉祥寺行きが到着。

ホームの端がすぐ踏切。昔ならここから出入りしてしまいそうです。

通過する急行をブラしてみた。

こういう撮り方も意外とシャッターチャンスが難しい。

トンネルの上はどうなっているのだろうか。狭い階段を上ってみます。道の両脇は小さい飲み屋が軒を連ねていました。

上の道。素っ気ない造りのホテルや、

かなり派手目な中華料理店があります。昼飯時なのに営業していません。

トンネルの真上は駐車場でした。まともに構えると金網が邪魔します。

ちょっと工夫すればなんとんなりますが、このポジションはあまりお薦めしません。

北口側の階段を下りました。なんか不思議な階段です。

線路脇に戻ってきました。

北口へはエスカレーターもあります。階段が離れているのは地形のせいか。

電車のお面は7色あるのに、なぜか青いのによく当たります。

12時を過ぎると踏切に建物の影が伸びてきました。隙間電車もそろそろ潮時かな。

南口の道路脇にこんな石碑がありました。江戸時代に村が管理する浴場があったと伝えられています。全国によくある、弘法大師が杖で地面を突いて湧き出した温泉ではないようです。

ちょいとアンティークな感じの喫茶店もあります。12時半頃、なんとなく開店していました。店内に古いカメラが何台も置いてあったりして、地元ではそこそこ有名なのかも知れません。店名からこのビルのオーナーでもあるようです。

駅から北に向かって歩き、山手通りからちょっと入った所にある鍋島松濤公園に寄ってみました。中学生の頃、新聞に連載されていた緑陰パトロールという記事を見て来たことがあります。鍋島藩の屋敷跡だとかのいわれがあり、そんなに広くはありません。このあと、富ヶ谷から高校、大学と通った母校の前を通って代々木上原まで歩き、箱根そばで腹ごしらえして帰宅しました。

神泉です。その昔、駒場と東大前は別の駅で、駅間が短いために統合されています。

吉祥寺寄りから渋谷寄りを見たところ。今は20m車の5連が止まりますが、私が高校生の頃は18m車3両分しかホームがなく、3000系が入っても吉祥寺寄りの1両は締切扱いでした。

昔の記憶を辿ってみると、渋谷寄りの2両分くらいはオープンで、吉祥寺寄りがトンネルに突っ込む形でした。今も線路間に残る柱はそのトンネルの支柱なのです。

吉祥寺寄りの端っこ。このあたりはホームを延長するためトンネルを拡幅しました。天井をみると線路間の支柱を撤去した跡がわかります。

オープン部分に新しい駅舎となるビルを建てたので、現在はホームすべてがトンネルの中のようになっています。

日が射すのは踏切のところだけ。20m車1両分くらいです。

ホームからもいろいろとおもしろいカットが撮れます。急行は通過するので注意。

何本目かの吉祥寺行きを見送って駅の外に出ます。

ラッチ内から見た改札口。右が南口、左が北口になります。通路にパン屋とコンビニがあります。

連絡通路から。奥が北口、まずは南口(手前)に出てみましょう。

ここはビルの中を通った裏口みたいな感じです。

正規?の南口は坂の途中です。

下から見ればこんな感じ。結構急な坂道で、駅は神泉町、左は円山町になります。

駅名標が中途半端な所に取付けられています。

やっと電車を写します。1両分も画面に入らない。Cedarさんの真似をするわけではないけど、ここはどう足掻いても隙間電車しか撮れないのです。

吉祥寺行きが到着。

ホームの端がすぐ踏切。昔ならここから出入りしてしまいそうです。

通過する急行をブラしてみた。

こういう撮り方も意外とシャッターチャンスが難しい。

トンネルの上はどうなっているのだろうか。狭い階段を上ってみます。道の両脇は小さい飲み屋が軒を連ねていました。

上の道。素っ気ない造りのホテルや、

かなり派手目な中華料理店があります。昼飯時なのに営業していません。

トンネルの真上は駐車場でした。まともに構えると金網が邪魔します。

ちょっと工夫すればなんとんなりますが、このポジションはあまりお薦めしません。

北口側の階段を下りました。なんか不思議な階段です。

線路脇に戻ってきました。

北口へはエスカレーターもあります。階段が離れているのは地形のせいか。

電車のお面は7色あるのに、なぜか青いのによく当たります。

12時を過ぎると踏切に建物の影が伸びてきました。隙間電車もそろそろ潮時かな。

南口の道路脇にこんな石碑がありました。江戸時代に村が管理する浴場があったと伝えられています。全国によくある、弘法大師が杖で地面を突いて湧き出した温泉ではないようです。

ちょいとアンティークな感じの喫茶店もあります。12時半頃、なんとなく開店していました。店内に古いカメラが何台も置いてあったりして、地元ではそこそこ有名なのかも知れません。店名からこのビルのオーナーでもあるようです。

駅から北に向かって歩き、山手通りからちょっと入った所にある鍋島松濤公園に寄ってみました。中学生の頃、新聞に連載されていた緑陰パトロールという記事を見て来たことがあります。鍋島藩の屋敷跡だとかのいわれがあり、そんなに広くはありません。このあと、富ヶ谷から高校、大学と通った母校の前を通って代々木上原まで歩き、箱根そばで腹ごしらえして帰宅しました。