この土日(15・16日)は静岡でトレインフェスタが開催されていて、私も14日から現地入りする予定でしたが、世の中の情勢とカミサンの意向に従い、参加を断念しました。観客は静岡県民に限定しているのに、関係者の大半は東京、愛知、大阪から移動してきています。まぁ、オリンピックとやらで世界中から人を集めるのに比べれば、屁でもありませんが。
という前振りは軽く聞き流していただいて、今回はシグ鉄さま、ぬか屋さまと勝手にコラボして、北勢線北大社の移り変わりをピックアップしてみました。いささか蛇足ですが、北大社は「きたたいしゃ」ではなく「きたおおやしろ」が正解です。ここに限らず北勢線は在良(ありよし)、七和(ななわ)、穴太(あのう)、六把野(ろっぱの)、阿下喜(あげき)など、読みに癖のある駅が多く、初めて訪れた時は切符を買うのに苦労しました(まだ自販機が導入されていなかった)。
1965(昭和40)年9月、初めての訪問で土地勘もなく、西桑名から阿下喜に向かってロケハンしていると、北大社で200形と交換。慌てて降りて近くの踏切までダッシュし、なんとか1カット撮れました。しかし、このまま西桑名で入庫となったようで、ついに垂直カルダンの乗り心地は体験できないままに終わりました。
西桑名寄りに側線があり、こんな貨車が留置されていました。この年の4月に三重交通の鉄道線が近鉄に買収されたので、表記もしっかり近畿日本鉄道になっていますが、貨物営業は行われていなかったようです。
阿下喜寄りで川を渡る直前、カーブした築堤でしばらく撮影しました。形式は変わっても塗色は緑とクリームの三重交通色のままです。ざっと見た範囲では4割くらいが近鉄マルーンになっていました。
これは駅の構内踏切からでしょう。2両目が近鉄色です。電動車の運転席は中央ですが、交換駅は右側通行が原則です。
1977(昭和52)年2月、車両区の建設工事が始まっています。
西桑名方面行きは仮ホームになっていました。
西桑名行きの最後部から撮影しています。車両区の完成とともにホームは2面3線になります。
1991(平成3)年2月、この時は仕事での訪問でした。線路は右から2号線、1号線、3号線となり、3号線から阿下喜方面には行けません。左奥に検修庫と留置線、スイッチバックして左に洗浄線があります。
ホーム全景。架線ビームも立派になっています。
駅舎は車両区の事務所も兼ねているようです。
検修庫から撮った1枚。これで車庫内の配線がほぼわかります。
写真から線路配置を想像してみました。車庫内は多少あやふやですが、中央部に両渡りがあるのは確かです。ホームは駅舎寄りから3番線(始発、当駅止まり)、1番線(西桑名行き)、2番線(阿下喜行き)となります。
入換え用の電機は健在でした。
阿下喜寄り、川の手前でオーバークロスする道路橋が絶好の撮影ポイントになるので、早起きして出かけました。まだ日の出直後で、藤原岳はうっすらとしか見えません。
陽も当たって藤原岳もくっきりと見えてきた8時頃、お目当てのモ220形が通過していきました。
三岐鉄道に移管されてから車両の冷房化や線路改良などが行われています。しかし、北大社駅が廃止となったのは意外でした。となりの六把野と統合して東員という駅が新設されましたが、航空写真で見る限り、人家は北大社周辺の方に多く集まっています。
なお、シグ鉄さんの写真によれば本線の線路は1号線のみとなり、3号線が引上げ線として残されているようです。
という前振りは軽く聞き流していただいて、今回はシグ鉄さま、ぬか屋さまと勝手にコラボして、北勢線北大社の移り変わりをピックアップしてみました。いささか蛇足ですが、北大社は「きたたいしゃ」ではなく「きたおおやしろ」が正解です。ここに限らず北勢線は在良(ありよし)、七和(ななわ)、穴太(あのう)、六把野(ろっぱの)、阿下喜(あげき)など、読みに癖のある駅が多く、初めて訪れた時は切符を買うのに苦労しました(まだ自販機が導入されていなかった)。
1965(昭和40)年9月、初めての訪問で土地勘もなく、西桑名から阿下喜に向かってロケハンしていると、北大社で200形と交換。慌てて降りて近くの踏切までダッシュし、なんとか1カット撮れました。しかし、このまま西桑名で入庫となったようで、ついに垂直カルダンの乗り心地は体験できないままに終わりました。
西桑名寄りに側線があり、こんな貨車が留置されていました。この年の4月に三重交通の鉄道線が近鉄に買収されたので、表記もしっかり近畿日本鉄道になっていますが、貨物営業は行われていなかったようです。
阿下喜寄りで川を渡る直前、カーブした築堤でしばらく撮影しました。形式は変わっても塗色は緑とクリームの三重交通色のままです。ざっと見た範囲では4割くらいが近鉄マルーンになっていました。
これは駅の構内踏切からでしょう。2両目が近鉄色です。電動車の運転席は中央ですが、交換駅は右側通行が原則です。
1977(昭和52)年2月、車両区の建設工事が始まっています。
西桑名方面行きは仮ホームになっていました。
西桑名行きの最後部から撮影しています。車両区の完成とともにホームは2面3線になります。
1991(平成3)年2月、この時は仕事での訪問でした。線路は右から2号線、1号線、3号線となり、3号線から阿下喜方面には行けません。左奥に検修庫と留置線、スイッチバックして左に洗浄線があります。
ホーム全景。架線ビームも立派になっています。
駅舎は車両区の事務所も兼ねているようです。
検修庫から撮った1枚。これで車庫内の配線がほぼわかります。
写真から線路配置を想像してみました。車庫内は多少あやふやですが、中央部に両渡りがあるのは確かです。ホームは駅舎寄りから3番線(始発、当駅止まり)、1番線(西桑名行き)、2番線(阿下喜行き)となります。
入換え用の電機は健在でした。
阿下喜寄り、川の手前でオーバークロスする道路橋が絶好の撮影ポイントになるので、早起きして出かけました。まだ日の出直後で、藤原岳はうっすらとしか見えません。
陽も当たって藤原岳もくっきりと見えてきた8時頃、お目当てのモ220形が通過していきました。
三岐鉄道に移管されてから車両の冷房化や線路改良などが行われています。しかし、北大社駅が廃止となったのは意外でした。となりの六把野と統合して東員という駅が新設されましたが、航空写真で見る限り、人家は北大社周辺の方に多く集まっています。
なお、シグ鉄さんの写真によれば本線の線路は1号線のみとなり、3号線が引上げ線として残されているようです。