1962(昭和37)年4月初旬、春休みが明ければ高校2年生となる時ですが、思い立って碓氷峠(信越本線)に行ってきました。目測式のスプリングカメラなので、全体に甘ピンです。
八王子から八高線で高崎に出ています。この方が上野回りより早く、高崎からの信越本線の列車に乗れたのです。キハ17の先頭からで、寄居の手前、秩父鉄道のデキ1形が牽く貨物列車と並走しています。
高崎からの信越本線の長野行きに乗ります。まだ非電化なのでD51が盛大に煙を上げています。場所は磯部ですね。信越本線の普通列車は上野を出る時が12両、高崎で6両を切り離します。これはリベットがあるからオハ35でしょう。半分くらいは座席の背摺りが板張りのオハ61でした。
横川で前に1両、後に3両のED42が連結されます。これは先頭になる機関車です。
丸山信号場で上り列車(後追い)と交換。ED42はパンタがある横川寄りにしか運転台がありません。
新線はレールが敷かれ、これから架線を張るという状態でした。
ラック区間は駆け足で追いつけそうな(実際はもっと速い)スピードです。ED42のロッドの動きを見ていると退屈しません。客車6両だと定数に余裕があるので、定数と有効長が許す範囲で貨車を連結しています。
熊ノ平で交換。前後とも行止まりのトンネルに突っ込んで有効長を稼いでいるので、僅かですが停車、発車の時はスイッチバックします。
軽井沢までは行かず、横川に戻って丸山あたりまで歩いたようです。碓氷峠の象徴といえる66.7‰の勾配はここから始まります。峠を下ってきたのはキハ57の急行で、当時は志賀、とがくし、丸池の3往復がありました。ED42は横川寄りに4両連結されていますが、後に一般的な軽井沢寄り1両、横川寄り3両に変更されます。
軽井沢に向かう客レ。
新線を上ってきた工事用列車。
旧線と新線が分かれる所。それにしてもすぐ左は600Vのサードレールじゃないか。線路に平行する一般道はないから、ここまで線路脇を歩いたことになります。途中で工事関係者に出会っても何もいわれなかったし、もう時効ということで目を瞑ってもらいましょう。
これ、横川や軽井沢でよく見かけました。側溝の蓋に使われているご用済みのラックレールです。減り具合でどちらが麓寄りがわかりますね。
八王子から八高線で高崎に出ています。この方が上野回りより早く、高崎からの信越本線の列車に乗れたのです。キハ17の先頭からで、寄居の手前、秩父鉄道のデキ1形が牽く貨物列車と並走しています。
高崎からの信越本線の長野行きに乗ります。まだ非電化なのでD51が盛大に煙を上げています。場所は磯部ですね。信越本線の普通列車は上野を出る時が12両、高崎で6両を切り離します。これはリベットがあるからオハ35でしょう。半分くらいは座席の背摺りが板張りのオハ61でした。
横川で前に1両、後に3両のED42が連結されます。これは先頭になる機関車です。
丸山信号場で上り列車(後追い)と交換。ED42はパンタがある横川寄りにしか運転台がありません。
新線はレールが敷かれ、これから架線を張るという状態でした。
ラック区間は駆け足で追いつけそうな(実際はもっと速い)スピードです。ED42のロッドの動きを見ていると退屈しません。客車6両だと定数に余裕があるので、定数と有効長が許す範囲で貨車を連結しています。
熊ノ平で交換。前後とも行止まりのトンネルに突っ込んで有効長を稼いでいるので、僅かですが停車、発車の時はスイッチバックします。
軽井沢までは行かず、横川に戻って丸山あたりまで歩いたようです。碓氷峠の象徴といえる66.7‰の勾配はここから始まります。峠を下ってきたのはキハ57の急行で、当時は志賀、とがくし、丸池の3往復がありました。ED42は横川寄りに4両連結されていますが、後に一般的な軽井沢寄り1両、横川寄り3両に変更されます。
軽井沢に向かう客レ。
新線を上ってきた工事用列車。
旧線と新線が分かれる所。それにしてもすぐ左は600Vのサードレールじゃないか。線路に平行する一般道はないから、ここまで線路脇を歩いたことになります。途中で工事関係者に出会っても何もいわれなかったし、もう時効ということで目を瞑ってもらいましょう。
これ、横川や軽井沢でよく見かけました。側溝の蓋に使われているご用済みのラックレールです。減り具合でどちらが麓寄りがわかりますね。