4月11日(日)のことですが、用賀に用があり、終わってから二子玉川まで、玉電の線路跡を辿りながらブラブラと歩いてみました。
瀬田の交差点で渋谷方向を見ています。左右に横切るのが環八、右が246号、左が玉電が走っていた大山街道です。
こちらは廃止直前の1969(昭和44)年2月。道幅は今と同じですね。環八と246号は平面交差でした。
振返って二子玉川方向。正面の三角屋根は交番です。左の道を玉電が走っていました。
交番はこの頃からありました。瀬田の電停は渋谷方面行きだけ安全地帯があります。
交番の脇から用賀方向を見ています。
上とほぼ同じ位置です。横断橋の向こうのビルは現在も変わっていませんね。
二子玉川に向かって坂を下ります。右が田園都市線の開口部で、すぐ先に線路の横断橋があります。
結構見晴らしはよさそう。渡った向こうに高島屋ガーデンアイランドがあります。
横断橋の上からも一応電車は撮れます。そろそろ先が見えてきた8000系。
最新の2020系。スカートから幕板につながるラインはちょっと無理があるように感じます。
玉電も坂の途中に踏切がありました。僅かな距離ですが勾配が緩くなっているのは、昔ここに身延山別院前という電停があった名残なのでしょう。
線路の東側も起伏が激しくなります。
瀬田夕日坂というらしい。西に向かって開けているから、夕日はよく見えそうです。
その南側、崖っぷちに行善寺というお寺があります。
宗旨は浄土宗。江戸時代からの歴史があるようですが、本堂は近代的に造りになっています。
本堂の裏手に回れます。
昔は多摩川の上流まで一望できたことでしょう。
眼下に電車が走っているけど、木立で見通しは効きません。
境内の南端にある道路。地形を知らずに自転車なんかで突っ込んだらエラいことになります。
下から見上げたところ。かなり急な傾斜のせいかあまり通る人はいません。ここまで来れば二子玉川の駅はすぐ近くに見えますが、真っ直ぐに行ける道がなく、なんのかんので7~8分かかります。
田園都市線で渋谷に戻る前に「しぶそば」で腹ごしらえ。暖かい陽気だったので、今年初めての盛り蕎麦にしました。
瀬田の交差点で渋谷方向を見ています。左右に横切るのが環八、右が246号、左が玉電が走っていた大山街道です。
こちらは廃止直前の1969(昭和44)年2月。道幅は今と同じですね。環八と246号は平面交差でした。
振返って二子玉川方向。正面の三角屋根は交番です。左の道を玉電が走っていました。
交番はこの頃からありました。瀬田の電停は渋谷方面行きだけ安全地帯があります。
交番の脇から用賀方向を見ています。
上とほぼ同じ位置です。横断橋の向こうのビルは現在も変わっていませんね。
二子玉川に向かって坂を下ります。右が田園都市線の開口部で、すぐ先に線路の横断橋があります。
結構見晴らしはよさそう。渡った向こうに高島屋ガーデンアイランドがあります。
横断橋の上からも一応電車は撮れます。そろそろ先が見えてきた8000系。
最新の2020系。スカートから幕板につながるラインはちょっと無理があるように感じます。
玉電も坂の途中に踏切がありました。僅かな距離ですが勾配が緩くなっているのは、昔ここに身延山別院前という電停があった名残なのでしょう。
線路の東側も起伏が激しくなります。
瀬田夕日坂というらしい。西に向かって開けているから、夕日はよく見えそうです。
その南側、崖っぷちに行善寺というお寺があります。
宗旨は浄土宗。江戸時代からの歴史があるようですが、本堂は近代的に造りになっています。
本堂の裏手に回れます。
昔は多摩川の上流まで一望できたことでしょう。
眼下に電車が走っているけど、木立で見通しは効きません。
境内の南端にある道路。地形を知らずに自転車なんかで突っ込んだらエラいことになります。
下から見上げたところ。かなり急な傾斜のせいかあまり通る人はいません。ここまで来れば二子玉川の駅はすぐ近くに見えますが、真っ直ぐに行ける道がなく、なんのかんので7~8分かかります。
田園都市線で渋谷に戻る前に「しぶそば」で腹ごしらえ。暖かい陽気だったので、今年初めての盛り蕎麦にしました。