ぬか屋さんのコキ、コキフもどきは早々と完成したようです。こちらもコンテナ車2両はいつでも塗装できる状態になっていますが、前回の最後にちょこっと書いた車掌車に取りかかっています。
我が家にはこんなのがいます。私がまだ幼稚園くらいだから昭和20年代の中頃、父親がブリキ製のキットを組んだものです。デッキ部分がすけすけになっているので、プロトタイプはヨ3500形より古いヨ2000形なのでしょう。軸箱は板バネ可動だから高級仕様だったのかも知れません。プロポーションはそんなに悪くないので、少し手を加えればヨ5000形に化けられそうです。
まずは塗装を剥がします。エナメルの筆塗りだったので、キサゲとマイナスドライバーで引っ掻いたらバリバリ剥がれました。
妻板は下半分が板張りなので、柱と端梁部分を残して切取ります。
下半分を0.3tの真鍮板で塞ぎます。真ん中の支柱は1.2mmの角線、テールライトは旧国でも使ったハトメです。
原型は車体と床板がハンダ付けされていたので、取外し可能にしないといけません。上下分離にすると車体裾がペナペナなので、最初は2mmの角線をハンダ付けしたところ、熱を回しすぎて反りが出てしまいました。写真は角線を1.2mmに換え、正確な幅を出すための横梁を入れたところ。しかし、これでも裾にはうねりが残るし、最後に窓ガラスを入れる時も邪魔になります。
いろいろと考えた結果、角線と横梁は潔く撤去。9×9、0.8tのアルミアングルで補強と取付けベースを兼ねることにしました。
アルミでハンダ付けはできないからロックタイトで固定しました。接着面積が大きいから剥がれる心配はなく、車体裾はきっちり直線が出せました。車体にはデッキ部分の床板がなく、妻板の下端がしっかり固定できなかったので、0.4tで床板を追加しました。ここは木製だろうと思っていたのですが、あとから実物の写真を見たら網目鉄板でした。今さら作り直すもの面倒なのでそのままにしておきます。
床板はデッキ部分以外の両端が折曲げられ、強度を稼いでいます。軸受けは床上からネジ止めしていたので、床下からネジ止めできるよう、軸受けのネジ穴は2mmドリルでさらい、床上にハンダ付けした0.8t板にタップを立てました。
床板の折曲げ部分が車体に嵌まり込み、側板の平面を保っていました。車体にアングルをつけたので不要、というより邪魔になるので撤去します。この作業はルーターと回転砥石の出番です。
なんとなく回転砥石の切れが悪くなったようなので、新品に取換えました。大きな仕事はコンテナ4個の底板を切ったくらいだけど、こんなに減るものなんですね。薄板でもやはり鉄は固いということか。
ここで連結器高さを確認したところ、少し高め。特に支障はないけど気になるので調整しました。
実物のヨは屋根にガラベンが3個乗っています。ジャンク箱を掻き回したらうまいこと3個発掘されました。戦後間もない頃のパーツらしく、プレスもかなりいい加減です。資材がなくて進駐軍のキャンプから拾ってきた空き缶を使ったりしたそうで、我が家にも裏側にアルファベットの文字が印刷されているのを見た覚えがあります。
取付け用に皿ビスをハンダ付け。さらに2mmナットをかませてスペーサーとします。
それらしい位置に取付けます。右端は撤去されている車両もあるようです。右と中央との間にはストーブの煙突があり、小型のガラベンがややオフセットして取付けられています。しかし、適当なパーツがないから省略します。
京都の鉄道博物館で撮影した画像がありました。これは右端が撤去されています。
デッキにはステップがあります。実物は2段でかなりガッチリした造りですが、模型は超簡略タイプで、ないよりましというところです。
だいぶカスタマイズされてきました。
屋根の端も板っぺら1枚ではおかしい。1.2mm角線を鈍し、カーブに合わせてハンダ付けしました。角線は一度車体の補強に使ったやつの再利用です。
床下がスケスケなので、蓄電池箱らしきものを作りました。車軸発電機やブレーキシリンダは面倒なので省略。これだけでもあるとないとでは大違い、のはずです。
これで生地完成。来週は晴れが続くようなので、寒さにめげず塗装しよう。
完成品のイメージです。テールマークはどうしようか。
我が家にはこんなのがいます。私がまだ幼稚園くらいだから昭和20年代の中頃、父親がブリキ製のキットを組んだものです。デッキ部分がすけすけになっているので、プロトタイプはヨ3500形より古いヨ2000形なのでしょう。軸箱は板バネ可動だから高級仕様だったのかも知れません。プロポーションはそんなに悪くないので、少し手を加えればヨ5000形に化けられそうです。
まずは塗装を剥がします。エナメルの筆塗りだったので、キサゲとマイナスドライバーで引っ掻いたらバリバリ剥がれました。
妻板は下半分が板張りなので、柱と端梁部分を残して切取ります。
下半分を0.3tの真鍮板で塞ぎます。真ん中の支柱は1.2mmの角線、テールライトは旧国でも使ったハトメです。
原型は車体と床板がハンダ付けされていたので、取外し可能にしないといけません。上下分離にすると車体裾がペナペナなので、最初は2mmの角線をハンダ付けしたところ、熱を回しすぎて反りが出てしまいました。写真は角線を1.2mmに換え、正確な幅を出すための横梁を入れたところ。しかし、これでも裾にはうねりが残るし、最後に窓ガラスを入れる時も邪魔になります。
いろいろと考えた結果、角線と横梁は潔く撤去。9×9、0.8tのアルミアングルで補強と取付けベースを兼ねることにしました。
アルミでハンダ付けはできないからロックタイトで固定しました。接着面積が大きいから剥がれる心配はなく、車体裾はきっちり直線が出せました。車体にはデッキ部分の床板がなく、妻板の下端がしっかり固定できなかったので、0.4tで床板を追加しました。ここは木製だろうと思っていたのですが、あとから実物の写真を見たら網目鉄板でした。今さら作り直すもの面倒なのでそのままにしておきます。
床板はデッキ部分以外の両端が折曲げられ、強度を稼いでいます。軸受けは床上からネジ止めしていたので、床下からネジ止めできるよう、軸受けのネジ穴は2mmドリルでさらい、床上にハンダ付けした0.8t板にタップを立てました。
床板の折曲げ部分が車体に嵌まり込み、側板の平面を保っていました。車体にアングルをつけたので不要、というより邪魔になるので撤去します。この作業はルーターと回転砥石の出番です。
なんとなく回転砥石の切れが悪くなったようなので、新品に取換えました。大きな仕事はコンテナ4個の底板を切ったくらいだけど、こんなに減るものなんですね。薄板でもやはり鉄は固いということか。
ここで連結器高さを確認したところ、少し高め。特に支障はないけど気になるので調整しました。
実物のヨは屋根にガラベンが3個乗っています。ジャンク箱を掻き回したらうまいこと3個発掘されました。戦後間もない頃のパーツらしく、プレスもかなりいい加減です。資材がなくて進駐軍のキャンプから拾ってきた空き缶を使ったりしたそうで、我が家にも裏側にアルファベットの文字が印刷されているのを見た覚えがあります。
取付け用に皿ビスをハンダ付け。さらに2mmナットをかませてスペーサーとします。
それらしい位置に取付けます。右端は撤去されている車両もあるようです。右と中央との間にはストーブの煙突があり、小型のガラベンがややオフセットして取付けられています。しかし、適当なパーツがないから省略します。
京都の鉄道博物館で撮影した画像がありました。これは右端が撤去されています。
デッキにはステップがあります。実物は2段でかなりガッチリした造りですが、模型は超簡略タイプで、ないよりましというところです。
だいぶカスタマイズされてきました。
屋根の端も板っぺら1枚ではおかしい。1.2mm角線を鈍し、カーブに合わせてハンダ付けしました。角線は一度車体の補強に使ったやつの再利用です。
床下がスケスケなので、蓄電池箱らしきものを作りました。車軸発電機やブレーキシリンダは面倒なので省略。これだけでもあるとないとでは大違い、のはずです。
これで生地完成。来週は晴れが続くようなので、寒さにめげず塗装しよう。
完成品のイメージです。テールマークはどうしようか。