モハメイドペーパーの      何が出てくるか2

かなり「鉄」分が多めの内容になっています。             2019年11月以前のバックナンバーはこちら。             http://jorctk.cocolog-nifty.com/                    カウンターはココログからの通算です。

雑ネタ

運転会の前座 その3(食うと寝る)

 大阪ではずっと定宿にしているサウナがあったのですが、コロナが蔓延してからは雑魚寝というわけにもいかず、かといってビジネスホテルのユニットバスでは疲れが取れません。そこそこの値段でサウナ付きのホテルはないかと検索した結果、個室カプセルというのを見つけました。実は昨年6月、JORC関西の運転会の時に利用したのが最初で、これは関西特有のシステムのようです。

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今回泊まったのはグランドサウナ心斎橋。地下鉄のなんばから道頓堀川を渡って2本目の道を左に入った所にあります。7階建てのビルで1階がフロント、2・3階がカプセル、4・5階が個室カプセル、6階が食堂と休憩室、7階がサウナ・風呂というレイアウトです。ここに限らず、夜の8・9時台は客の9割方が若い人で、年寄りは肩身が狭い。サウナで骨の芯まで暖まったあとの水風呂はなんと水温16度。20度でも結構冷たい感じだから、皮下脂肪が少ない体では1分も入っていられません。

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これが個室カプセルの内部。通路とは鍵なしのアコーディオンドアで区切られ、中に机と鍵付きロッカーがあります。カプセルは2段ですが1段使用で、ルームナンバーの奇数は下段、偶数が上段になっていました。机もこのくらいの広さがあれば簡単な仕事はできます。

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こちらは昨年6月に泊まった神戸クアハウス。ロッカー、机とも必要最小限の寸法で、なんとか用は足りるけど、もう少し余裕が欲しい。料金を比べてみると、グランドサウナ心斎橋は金土曜の割り増しで4500円(実際にはネット予約で4400円)、神戸クアハウスは4800円と割高。風呂は神戸クアハウスの方が種類も多いけど、施設自体がやや古く、総合点はグランドサウナ心斎橋が95点、神戸クアハウスは80点というところでしょう。

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11日の朝食はここ。阪神電鉄尼崎のホーム下にある阪神そばです。その存在は知っていてもなかなか利用する機会がなく、気がつけば関西の私鉄系駅そばで未制覇は阪神そばだけになっていました。最近、わんわん氏の犬悔いでも紹介されているし、大阪出身の編集者からも「うまいですよ」と聞いているので、今回は絶対食べるぞと密かに誓ってきたのです。

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お品書き、ベースになるかけが290円で、トッピングはかき揚げが160円とやや高め。

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ちく天そばを注文。ちくわ天をちく天と短縮するのが関西流なのかはさておき、ちくわが丸々1本入って370円は、しぶそばも真っ青の驚異的な値段といえます。つゆは食べている時にはほとんどその存在を感じさせないのに、最後に飲み干すとうま味がじわぁ~と口の中に広がり、只者ではないことがわかります。これからがっちり仕事をするぞという時の朝飯には少し物足りないけど、駅そばにそれを求めるのは見当違い。12日の朝は吉野屋の牛カルビ定食でエネルギーを充填してポートアイランドに向かいました。

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最後にお上りさん目線の写真を少々。天気もよくなった11日の夜、道頓堀橋の上は外人観光客のグループが一斉にスマホを構えていました。実は私、大阪には何度も足を運んでいながら、ここに来たのは初めてなのです。目の前の橋はタイガースが勝つとトラキチがダイビングするので有名な戎橋。グリコの看板もシンボル的存在です。次の機会には心斎橋筋の商店街を歩いてみよう。

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朝のなんば交差点で北側を見たところ。夜は気がつかなかったけど、御堂筋は一方通行なのです。

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振り返って南側。同じ画面に近鉄と南海の駅が入るんだ。地元の人には見慣れた光景だから、珍しそうに立ち止まっているのは私だけでした。

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近鉄難波の1・2番ホームで「ひのとり」をアピールしている自販機を発見。

 最終日、いつもは新大阪から新幹線に乗るのですが、今回は新神戸からにしました。混んでいても新大阪である程度入れ代わりがあるだろうとの読みはほぼ当たり、京都で山側のE席を確保。待ち時間が少なかったので新大阪乗換えより30分くらい時間が短縮でき、21時前に帰宅できました。

120万アクセス

 本日(13日)の朝方、120万アクセスとなりました。

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ということで私にしては意外と思える車両を撮っていました。JR西日本のローカル線用気動車、キハ120です。場所は富山だから高山本線の列車ですね。この時は見ただけですが、関西本線では伊賀上野から加茂まで乗っています。結構番代区分が複雑で、車体も鋼製とステンレス製があるし、塗色も線区ごとに違ったりと、余計な手間かけているような気もします。基本はトイレなしですが、最近はバリアフリーの多機能トイレを新設した車両もあり、短い車体の1/4くらいがトイレになっています。

119万アクセス

 本日(18日)の朝方、119万アクセスに達したようです。

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119といったらこれ、飯田線の旧型置換え用として1982(昭和57)年に登場した119系です。105系をベースとした1M方式で、耐寒装備と抑速ブレーキを追加。ワンマン運転を考慮して両端ドアが車端寄りになり、座席はセミクロスシートになっています。地方線区用ということで冷房はついていません。登場時は青22号の地色に灰色9号の帯という、京阪神の新快速色を反転させた塗色でした。残念ながらその時期の実車は見たことも乗ったこともありません。写真は2003年の撮影で、JR東海色になり一部はワンマン化で車号も5000とか5300番代になっています。

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当初はMc+Mc-Tcの3連もありましたが、編成短縮で増結用の一部は両運転台に改造。車号は100番代になりました。前パン、幌付きはマニア好みです。

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車内は113系とほぼ同じ。枕カバーが付いているのはJR東海の流儀です。

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国鉄末期 、一部は東海道本線に転用され、静岡地区のするがシャトルに使用されました。塗色はクリームに赤、側面の斜め帯が「するが」のS、前面の三角は富士山を表しているようです。これは実際に乗ったことがあります。103系の性能だから目一杯力行してどうにか100km/hに届くくらい。15両が止まれるホームに80km/hくらいで突っ込むのはなかなかの迫力でした。転用車はAU75で冷房化され、飯田線に残った車両はJR東海になってから、弁当箱スタイルのインバータクーラーが載せられています。

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廃車後、12両はえちぜん鉄道に譲渡され、7001形(Mc)、7002形(Tc)となりました。台車はそのままですが、VVVFインバータ制御に改造されています。

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車内はトイレを撤去したくらいで、大きな変化はありません。

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2005年に0番で2連を製作しています。ユニットサッシの表現など、かなり凝った部分もあります。床下機器は現在も製作中(放置ともいう)なので、まだ竣工届けは出せません。

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JORC会員の西国立ラインに乗り入れ。飯田線のどこかの駅のように見えますね(強要はしません)。

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16番ですが、こんな車両もあります。静岡鉄道のデワみたいな木造車体の電動貨車を鋼体化したという想定で、キワ90のエッチング板とカワイの2軸市電用台車の組み合わせ。チビ電だから形式はデカ(電動貨車の略)、救援の用途もあるから車号は119としました。

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車体を外せば中身はモーターとウエイトがぎっしり。プラのコンテナ貨車を10数両牽き、パワトラでおとなしく走る電車をぶっちぎった実績があります。

117万アクセス

 昨日(28日)の夕方、117万アクセスになりました。実は10月に入ってからアクセスがかなり増えていて、1日に900を越えた日もあります。28日は794でした。カウンターは同じ人が何回アクセスしても1回ずつと計算するので、実際の訪問者数は150~180とほぼ一定です。つまり、900を越えた日は単純計算でも一人が4回以上アクセスしていることになります。そんなに何度も読み直すほどの内容ではないと思うのですが、まぁ、みなさんヒマ潰しにアクセスしているんでしょう。私もコメント入れたブログなんかはどんなレスが付くかと何度も確認しますから、誰も考えることは同じなのですね。

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ということで117といったらこれ、117系です。国鉄末期に京阪神地区の新快速用として登場し、私も何度か乗っていますが、その頃は乗るだけで写真はほとんど撮っていません。これはJR東海に継承された車両で、2004年5月に熱田で撮影しています。名古屋地区も関西と同じ6連で投入されましたが、JR東海になってから編成を2分し、クハを新製して4連に組換えられました。そのクハは下降窓になった100番代仕様なので、すべての編成は2段窓と1枚窓の混成になっています。

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これはモハ116、他の形式もそうですが、連結面寄りにだいぶ無駄と思われるスペースがあります。恐らく寒地仕様で雪切室にすることを考えていたのでしょう。

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モハ117、夕方まで昼寝なのでパンタが降りています。

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クハ116、クハは上り向きがクハ117、下り向きがクハ116と形式が分けられていました。117系は新快速用として台車が空気バネになっているけど、モーターはMT54でギア比4.82だから走行性能は113系と同じ。京阪神の新快速はほとんど力行しっぱなしでなんとか110km/hを維持していました。名古屋地区で4連になると重たいクハが災いして加速が悪くなり、起動から100km/hに達するのに211系の3連だと55秒前後なのに対し、1分半近くかかっていました。おまけに2ドアで停車時分が延びるから、ラッシュ時には使いにくい車として敬遠されるようになってしまったのです。

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関西地区に残った車両はこんな色になっています。2016年、湖西線の車内からの撮影なので、ガラスの汚れはご容赦願います。2022年時点では在籍していても定期運用はなくなっているはずです。 

115万アクセス

 昨日(15日)の夜遅く、115万アクセスに達したようです。114万はあまりネタもなかったので知らんぷりをしていましたから、今回はその埋め合わせとして少々多めの内容になっています。

*追加2点あり

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はい、115といったらこれ。首都圏でもお馴染みだった115系です。上野口では石を投げれば115系にあたるくらいだったから、写真はあまり真面目に撮っていません。フィルム時代の画像を探すのは面倒なので、デジカメで撮った中から拾い上げました。
 2004年10月、赤羽で撮影。クハ115-386。そろそろ211系に押されて影が薄くなっていた頃です。JR東日本でもさまざまな地域色が出現しますが、やはり115系といったら湘南色です。

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2012年3月、吾妻線の川原湯温泉だったかな。クモハ115-1035。上野口では見られなかった1000番代で3連のローカルバージョンです。

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2012年8月、中央本線の有名撮影地、鳥沢です。クモハ115-372。私の地元である中央線用はスカ塗りで、初代はパンタ付きのモハ114が低屋根の800番代でした。これは新製冷房車の300番代で、当初は中間にサハが2両入った8連固定でしたが、国鉄末期にサハが抜かれています。抜かれたサハは大部分がクハに改造され、全国に散っていきました。

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同じ日の撮影で、クハ115-1115。中央東線ローカルは長モトの受持ちもありました。現在の211系もこの長野色を受継いだ帯色になっています。

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2012年5月、東所沢。クハ115-398。土休日運転のホリデー快速「かまくら」。唯一6連固定で残っていたM40編成がほぼ専属で使用されていました。

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2012年8月、高尾。クハ115-358(右)。高尾の留置線に並んだ長野車と豊田車。

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2005年10月、中野。この頃は余剰車を転用した訓練車が各地に出現しています。豊田区所属車はスカ色で先頭はクハ115-108。2両目のモハ114が800番代ですが、これは波動用を兼ねて小山区に配置された車両です。土休日に115系使用の急行が運転されると、その穴埋めとして中央線に出稼ぎにきていました。

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訓練車とし記号が「ヤ」になったのは4両中の1両だけでした。

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2009年1月(以下同じ)、広島。クハ115-556。広島地区は115系魔改造の宝庫でした。500番代はサハからの改造で、廃車の153系からAU13を転用しています。これは6個なのでまぁ涼しくなったようですが、最初の改造では4個とけちったのがあり、冷風車と揶揄されていました。

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広電の鈴ケ峯女子大前が絶好の撮影ポイントで、本数が稼げる朝ラッシュ時に来る列車を片っ端から撮りまくりました(こういう場面では異常なほど集中します)。広セキのC-16編成でクハ115-191。中間のモハは2000番代で、チグハグ編成は6連を4連に組換えた産物です。

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広ヒロのL-03編成、クハ115-2110。広ヒロのL編成は体質改善車で揃えられていました。車内も転換クロスになり、乗れたら大当たりです。

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広セキ、N-05編成、クハ115-3105。117系みたいな窓配置の3000番代は115系の異端児。本来なら別形式となるところですが、国鉄末期の組合対策で新形式とするのを避けた結果だとか。まぁ、車両性能は同じですが。これは4両とも3000番代で揃った純正編成。バンタの位置と側面方向幕の高さを覚えておいてください。

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広セキ、N-16編成。4両とも同じに見えますが、中間のモハは元117系で、パンタの位置が違います。よく見れば方向幕の位置(高さ)も違いますね。この編成、当初はモハが111系でした。その後、関西圏で編成短縮により余剰となった117系のMM'ユニットを転用して115系に編入し、3500番代の車号になっています。

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左が元117系で、台車がエアサス付きのDT32。本来の115系の方向幕はもう少し低い位置で、茶色の部分に食込んでいます。さらによく見ると、窓も元117系は上段が下降するので、縦のサッシ受け部分の形が異なるし、上の角がR付きです。
*乗客の着席状態を見ると、元117系は連結面も転換クロスのままのようですね。

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3000番代の車内。転換クロスはドア間の開閉できる窓部分のみ、戸袋と連結面はロングシートです。化粧板の色調も違うし、蛍光灯も117系の連続したグローブ付きに対して剥き出しで本数も少ない。3500番代のモハも座席の一部がロングシート化されているはずですが、それは確認できなかった。

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広セキ、C-02編成。クハは2ドアの3000番代、モハは3ドアの2000番代のごった煮状態です。この編成は2本のみなので撮影できたのはラッキーでした。

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2007年3月、伊東。伊豆急に譲渡されて200系となりました。先頭はクハ267。元は中央線にいた初期車で、パンタ付きは低屋根だったと思います。元東急の8000系が入り、廃車が進んでいた頃です。

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2012年4月、小諸。クモハ115-1529。しなの鉄道に譲渡された1000番代で、車号はJR時代のまま。1500代ということはモハ115からの改造車です。
 115系の魔改造といったら岡山地区を外せないのですが、残念ながら仕事で行く機会がなく、写真はほとんどありません。

*よく探したら1点だけ見つかりました。

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唯一発見できた岡山車、2016年9月、相生。中国地区のいわゆる末期色になっています。クモハ115は改造車かも知れませんが、形態はいたってまともです。

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その車内。窓はそのままで、座席は221系並みに体質改善されています。
プロフィール

モハメイドペーパー

 1946(昭和21)年生まれ、AB型、男。生息地は中央線(JR)の沿線なので、鉄道は複線で電化されているものと認識している。
 鉄道関係のライターが本業になり、今も細々ながら現役。趣味が鉄道模型製作だが、本業との境目は曖昧。

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