ブログを書いているのは年寄りが多いせいか、最近はもう撮りたいものがない、なんていう愚痴めいた呟きもよくみかけます。それはそれでどうこういう筋合いではありませんが、私はどちらかといえば撮れるものは撮っておくという流儀。目の前に車両があれば、ダボハゼのように即食いつきます。まぁ、これは撮影コストがほぼゼロのデジカメだからできることで、フィルム時代だったら「こいつ、あまり好かんからパスしとこ」というのはありでした。
かと思えば飛行機使って「やまぐち号」を日帰りで撮影したり、ニコンのZ9に純正ズーム(合わせて約100万円)を買い、性能に惚れ込んでもう1台ボディを買おうなんていう、恵まれた境遇の方もいるようで、まさに世の中いろいろ、駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、なのですね。
私のなんでも撮っておこうは、うまくいけば仕事で使える(金になる)という助平根性もあるからです。「〇〇形の写真、ありますか」なんていう注文は大抵予告なしに来るのが業界の常識なんで、その時にすぐ「はい、ありますよ」と返事できるか否かが勝敗の分かれ目になってしまいます。まぁ、仕事の話はそんなに頻繁には来ませんが、選り好みなく撮っておけば、あとあと役立つ機会も多いのは確かです。
前置きが長くなりすぎましたが、今回の「あの時」は1966(昭和41)年5月、京王帝都電鉄井の頭線の駒場東大前から少し池ノ上寄りのところです。駒場東大前はもともと駒場、東大前と別の駅でしたが、駅間距離が短いことから1965年に統合されています。
車両はデニ100形で塗色は茶色に白帯。東芝府中工場の通勤用として新製され、京王に譲渡されてデハ1751→デハ1661を経て1957年、デニ101になるという複雑な経歴の持ち主です。荷電になっても外観は旅客車時代とほとんど変わっていません。この時代はもう荷物営業は行っていなかったはずで、運んでいたのは社内用品だっと思います。荷電のスジも知っていたわけではなく、たまたま井の頭線でも撮るかと、勝手知ったる所でカメラを構えた時の産物です。
かと思えば飛行機使って「やまぐち号」を日帰りで撮影したり、ニコンのZ9に純正ズーム(合わせて約100万円)を買い、性能に惚れ込んでもう1台ボディを買おうなんていう、恵まれた境遇の方もいるようで、まさに世の中いろいろ、駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、なのですね。
私のなんでも撮っておこうは、うまくいけば仕事で使える(金になる)という助平根性もあるからです。「〇〇形の写真、ありますか」なんていう注文は大抵予告なしに来るのが業界の常識なんで、その時にすぐ「はい、ありますよ」と返事できるか否かが勝敗の分かれ目になってしまいます。まぁ、仕事の話はそんなに頻繁には来ませんが、選り好みなく撮っておけば、あとあと役立つ機会も多いのは確かです。
前置きが長くなりすぎましたが、今回の「あの時」は1966(昭和41)年5月、京王帝都電鉄井の頭線の駒場東大前から少し池ノ上寄りのところです。駒場東大前はもともと駒場、東大前と別の駅でしたが、駅間距離が短いことから1965年に統合されています。
車両はデニ100形で塗色は茶色に白帯。東芝府中工場の通勤用として新製され、京王に譲渡されてデハ1751→デハ1661を経て1957年、デニ101になるという複雑な経歴の持ち主です。荷電になっても外観は旅客車時代とほとんど変わっていません。この時代はもう荷物営業は行っていなかったはずで、運んでいたのは社内用品だっと思います。荷電のスジも知っていたわけではなく、たまたま井の頭線でも撮るかと、勝手知ったる所でカメラを構えた時の産物です。