モハメイドペーパーの      何が出てくるか2

かなり「鉄」分が多めの内容になっています。             2019年11月以前のバックナンバーはこちら。             http://jorctk.cocolog-nifty.com/                    カウンターはココログからの通算です。

昔の写真

南海べったりな2日間(その3)

 2日目(5日)、朝飯前に今宮戎で少し撮影してから難波の南海そばで朝食。JRで天王寺に出て天王寺支線の線路跡を確認します。2015年にレールが撤去されてからは大きな変化はありません。このあとは平野線の廃線跡を辿るため、地下鉄谷町線で平野に向かいます。

平野行き P4080490
1979(昭和54)年10月の天王寺駅前。手前のモ505は平野行きです。この時代はまだ南海の軌道線で、1年後の1980年12月1日に上町線と阪堺線は阪堺電気軌道として分離、平野線は11月26日限りで廃止となり、翌27日に地下鉄谷町線の天王寺~八尾南間が開業します。

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ここは西平野電停があった所。阿倍野からここまで平野線は阪神高速松原線の高架下を走っていました。厳密にいえば線路敷に高架の脚を建てたわけです。高速道路はカーブして南に、平野線は東に直進します。

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上の写真の木立の下に見えているのが、平野線の路線図を描いたモニュメント。飛田~阿倍野以外は専用軌道で、路面電車にしては駅間が長く、表定速度も高かったようです。

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線路跡は背戸口公園になって内環状線まで続いています。

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公園が終わったら内環状線(479号線)を横断。この道路を北(写真の右方向)に行けばJR関西本線の平野に出ます。

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内環状線を渡って100mくらいの所から西平野方向を見ています。信号の奥が背戸口公園。左に続いているビルは線路跡に建っています。

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上の写真に位置から振り返るとすぐ、線路跡を利用した遊歩道が始まります。

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電車道らしい雰囲気です。実際の線路は複線でした。

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途中の広場には平野の駅舎をイメージしたモニュメントがあり、奥の壁面にはモ205形のイラストと由来を書いたプレートがあります。このイラストは2代目で、初代はほぼサイドビュー、もっと黒っぽい色調でした。

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ここ々が終点。

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平野南海商店街の道路から見た所。

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1979年1月に撮影。フィルムの最後のコマで、平野線の画像はこの1枚だけです。天王寺駅前あたりから乗ってきたはずですが、途中の記憶がほとんどありません。

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構内配線はこうなっていました。幅が狭いところをうまく使っています。奥が1番線だったかな。ホームで恵美須町行きと天王寺駅前行きを分けていたようです。

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駅前は少し寂れた平野東筋商店街が南北に続いていて、街路灯のプレートには今でも南海の文字が残っています。

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平野線が廃止されてから41年になるから、地元でも実際に乗ったという経験があるのは60代以上でしょう。それなのにいまだ南海の文字が残っているのはよほど南海に恩義を感じているのか、それとも書き換える手間を惜しんでいる(その金もない)だけなのか。
この通りの途中から東に延びる平野中央本通商店街は年代物の建物があったりで、街歩きファンには見逃せません。私も少し歩いて見ましたか、それは稿を改めて紹介します。  

昭和42年4月、名古屋付近の近鉄など

シグ鉄さんのブログで名古屋市の西側、八田のあたりが取上げられたので、私も古いネガを掘起こしてみました。54年前の昭和42(1967)年4月初め、飯田線から始まって名古屋に3日ほど滞在し、最後は中央西線経由で長電を見て東京に戻っています。撮影したネガは4本、今回は近鉄を中心にまとめてみました。

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随分田舎っぽい雰囲気ですが、近鉄で名古屋から4駅目の八田です。左端にしょぼいホームが見えています。この頃から待避可能な配線で、画面の右には数本の留置線もありました。車両は言わずと知れた2代目ビスタカー10100系で、両端とも貫通式のC編成です。

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普通列車は2連(というのは今でも同じ)。6226は旧伊勢電のモニ221形です。名古屋線の旧型は改軌で台車を取換えているので、クラシックな車体にシュリーレン台車のミスマッチがおもしろい。

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ク1700-モ1600に増結用のモ1650を加えた3連の準急。大阪線の1480系と同じモーターですが、1M方式でM-T編成を基本としています。

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ここは手前に国鉄関西本線が並走しています。非電化で単線だからとても本線とは思えません。列車本数は近鉄の1/10以下です。

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新エースカー2連の特急。名阪ノンストップじゃないかな。

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C57牽引の旅客列車。国鉄の八田駅はもう少し左にあり、発車したばかりだから煙とドレーンを吐いています。

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ビスタカーのB編成。

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気動車列車はここにも30系が進出していた。

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特急「あすか」。東和歌山~名古屋という運転区間のせいか人気がなく、この年の10月改正で廃止されています。

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旧伊勢電クハ461形で、幕板に飾り窓の縁取りが残っている。名古屋行きの急行が回送されてきて留置線に入り、このあとパンタを降ろしてしばらく昼寝となりました。

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名古屋線配置となっていた2200系。ほとんど3扉化されていましたが、3両目はまだ2扉です。このコマに限らず、まずモノクロでシャッターを切り、引きつけたところをカラーポジを入れたハーフ判で撮るということをしていました。そのためモノクロは早めにシャッターを切るので右2/3くらいが余白、車両は下手すればケツ切れという状態になっています。

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近鉄に続くコマがこれ。市電下之一色線の松葉です。市電で初めてワンマン化されたくらいの閑散路線ですが、地図で確認すると烏森駅のすぐ近くなんですね。まだ市電に対する知識はほとんどなく、たまたま駅を出たら市電があったから乗ってみたのだと思います。沿線は市電らしからぬ風景が展開していたはずなのに、途中でのスナップは1枚もありません。

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終点のひとつ手前の築三町で後続の51系統の市大病院行きに乗換えました。800形は1mあたり1トンを切る軽量車体、車体中央に置いた両軸モーターから乗越しカルダンで各台車の外側1軸を駆動するという珍しい伝導方式を採用していました。日本車輌に勤務し、JORCにも在籍していた方が設計した意欲作なのですが、乗り心地は最悪。加速はよいけどモーターの振動が車体に伝わり、少しスピードが出ると前後左右上下に満遍なく捻るように揺れました。恐らく車体の剛性不足がかなり影響していたのだろうと思います。設計したご本人はこの車両をどう評価していたのか、機会があったら聞いてみようと思っているうちに亡くなられてしまいました。

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これは場所がわかりません。熱田の近くだろうと思います。この2000形は名古屋市電だけではなく、日本の路面電車のなかでもトップ3に入る高性能車です。直角カルダン駆動、弾性車輪の採用により交差点のクロスを通過しても後ろを向いていれば気付かないほどで、無音電車の看板に偽りはありません。このあと、熱田(神宮前)に出て名鉄に乗っています。
*市電系統図と地図を対照すると、八熊通ではないかと思います。

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これは栄の地下街。ほんの数日前に地下鉄の路線が延長されています。

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開通を記念した模型コレクション展が行われていました。名古屋模型鉄道クラブ(NMRC)が協力していたのでしょう。

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地下鉄名城線にも乗っています。

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名古屋駅の西側はまだ開発途上でした。これは縦に細長いビルの8階にあった名古屋国鉄ホステルから撮影したもので、1部屋に2段ベッドが2組置かれた簡易宿泊施設でした。現在は0系の先頭あたりがあおなみ線の改札口になっています。

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西口の真ん中あたり、今は高速バスのターミナルがあります。当時、広場の隅っこでは夜になると怪しげなオジサン達が集まって焚き火していて、普通の人は足を向けたくない雰囲気でした。

北勢線、西桑名と阿下喜+おまけ

 先週後半から少し真面目に仕事をしているのでブログは放ったらかし。ついに昨日はアクセス数が300を割りました。まぁ、ネタは準備してあるんで、そろそろゲップが出るかもしれませんが、もう一度、近鉄北勢線にお付き合いください。

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1977(昭和52)年2月の西桑名です。現在の西桑名の手前で線路は右にカーブしていました。

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画面右が西桑名駅、阿下喜行きが発車したところです。後方に見える桑栄メイトビルは昼飯でお世話になりました。

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ホームはカーブにかかっています。到着列車は手前に止まり、客を降ろすと車庫に入って機回し、または別の編成が出てきて奥の位置に止まります。列車が据え付けられるまでは改札止めしていました。

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移設される駅は5月1日から使用開始になるようです。ということは、北大社の車庫の正式な使用開始も同日付けとなるのでしょう。

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逆光ですが駅正面も撮っていました。

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歩道橋からなのか、車庫を垣間見ています。西桑名の写真はこれだけです。

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一気に終点の阿下喜に飛びます。現在もここに保存されているモニ226が入換え中です。

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阿下喜発の時点では乗客も疎らです。

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昼下がりでも長編成がやってきました。

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藤原岳がバックに入る、絶好のロケーションです。

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モニ225の阿下喜寄りは事故復旧で2枚窓に改造されています。

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入換え作業中。バックのボーリング場は現存せず、「あじさいの里」という温泉施設になっているそうです。

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1991(平成3)年に訪れた阿下喜の駅舎。

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なんと、線路は1本だけになっていました。

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左の線路は架線がなく、保線用なのでしょう。現在はこの左の部分が軽便鉄道博物館になっています。

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1965(昭和40)年、七和。サ130形は将来の制御車化を想定して一端(写真の反対側)が運転台にできる構造になっていました。

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サ130形の台車。

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半固定編成になった中間は連結棒でした。

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朝に1本だけ見られた1M4T編成。トレーラーは3形式総出演です。

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西桑名にいた有蓋貨車。ナローの貨車はすべて9000代の形式でした。
内部線は車庫も取材していますが、まだフィルムをスキャンしていません。いずれ機会をみてお目にかけたいと思います。

瀬田から二子玉川あたりの今昔

 4月11日(日)のことですが、用賀に用があり、終わってから二子玉川まで、玉電の線路跡を辿りながらブラブラと歩いてみました。

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瀬田の交差点で渋谷方向を見ています。左右に横切るのが環八、右が246号、左が玉電が走っていた大山街道です。

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こちらは廃止直前の1969(昭和44)年2月。道幅は今と同じですね。環八と246号は平面交差でした。

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振返って二子玉川方向。正面の三角屋根は交番です。左の道を玉電が走っていました。

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交番はこの頃からありました。瀬田の電停は渋谷方面行きだけ安全地帯があります。

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交番の脇から用賀方向を見ています。

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上とほぼ同じ位置です。横断橋の向こうのビルは現在も変わっていませんね。

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二子玉川に向かって坂を下ります。右が田園都市線の開口部で、すぐ先に線路の横断橋があります。

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結構見晴らしはよさそう。渡った向こうに高島屋ガーデンアイランドがあります。

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横断橋の上からも一応電車は撮れます。そろそろ先が見えてきた8000系。

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最新の2020系。スカートから幕板につながるラインはちょっと無理があるように感じます。

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玉電も坂の途中に踏切がありました。僅かな距離ですが勾配が緩くなっているのは、昔ここに身延山別院前という電停があった名残なのでしょう。

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線路の東側も起伏が激しくなります。

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瀬田夕日坂というらしい。西に向かって開けているから、夕日はよく見えそうです。

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その南側、崖っぷちに行善寺というお寺があります。 

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宗旨は浄土宗。江戸時代からの歴史があるようですが、本堂は近代的に造りになっています。

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本堂の裏手に回れます。

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昔は多摩川の上流まで一望できたことでしょう。

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眼下に電車が走っているけど、木立で見通しは効きません。

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境内の南端にある道路。地形を知らずに自転車なんかで突っ込んだらエラいことになります。

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下から見上げたところ。かなり急な傾斜のせいかあまり通る人はいません。ここまで来れば二子玉川の駅はすぐ近くに見えますが、真っ直ぐに行ける道がなく、なんのかんので7~8分かかります。

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田園都市線で渋谷に戻る前に「しぶそば」で腹ごしらえ。暖かい陽気だったので、今年初めての盛り蕎麦にしました。

北大社の移り変わり

 この土日(15・16日)は静岡でトレインフェスタが開催されていて、私も14日から現地入りする予定でしたが、世の中の情勢とカミサンの意向に従い、参加を断念しました。観客は静岡県民に限定しているのに、関係者の大半は東京、愛知、大阪から移動してきています。まぁ、オリンピックとやらで世界中から人を集めるのに比べれば、屁でもありませんが。

 という前振りは軽く聞き流していただいて、今回はシグ鉄さま、ぬか屋さまと勝手にコラボして、北勢線北大社の移り変わりをピックアップしてみました。いささか蛇足ですが、北大社は「きたたいしゃ」ではなく「きたおおやしろ」が正解です。ここに限らず北勢線は在良(ありよし)、七和(ななわ)、穴太(あのう)、六把野(ろっぱの)、阿下喜(あげき)など、読みに癖のある駅が多く、初めて訪れた時は切符を買うのに苦労しました(まだ自販機が導入されていなかった)。

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1965(昭和40)年9月、初めての訪問で土地勘もなく、西桑名から阿下喜に向かってロケハンしていると、北大社で200形と交換。慌てて降りて近くの踏切までダッシュし、なんとか1カット撮れました。しかし、このまま西桑名で入庫となったようで、ついに垂直カルダンの乗り心地は体験できないままに終わりました。

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西桑名寄りに側線があり、こんな貨車が留置されていました。この年の4月に三重交通の鉄道線が近鉄に買収されたので、表記もしっかり近畿日本鉄道になっていますが、貨物営業は行われていなかったようです。

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阿下喜寄りで川を渡る直前、カーブした築堤でしばらく撮影しました。形式は変わっても塗色は緑とクリームの三重交通色のままです。ざっと見た範囲では4割くらいが近鉄マルーンになっていました。

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これは駅の構内踏切からでしょう。2両目が近鉄色です。電動車の運転席は中央ですが、交換駅は右側通行が原則です。

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1977(昭和52)年2月、車両区の建設工事が始まっています。

P5114349 北大社
西桑名方面行きは仮ホームになっていました。

P5114350 北大社
西桑名行きの最後部から撮影しています。車両区の完成とともにホームは2面3線になります。

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1991(平成3)年2月、この時は仕事での訪問でした。線路は右から2号線、1号線、3号線となり、3号線から阿下喜方面には行けません。左奥に検修庫と留置線、スイッチバックして左に洗浄線があります。

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ホーム全景。架線ビームも立派になっています。

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駅舎は車両区の事務所も兼ねているようです。

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検修庫から撮った1枚。これで車庫内の配線がほぼわかります。

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写真から線路配置を想像してみました。車庫内は多少あやふやですが、中央部に両渡りがあるのは確かです。ホームは駅舎寄りから3番線(始発、当駅止まり)、1番線(西桑名行き)、2番線(阿下喜行き)となります。

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入換え用の電機は健在でした。

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阿下喜寄り、川の手前でオーバークロスする道路橋が絶好の撮影ポイントになるので、早起きして出かけました。まだ日の出直後で、藤原岳はうっすらとしか見えません。

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陽も当たって藤原岳もくっきりと見えてきた8時頃、お目当てのモ220形が通過していきました。

 三岐鉄道に移管されてから車両の冷房化や線路改良などが行われています。しかし、北大社駅が廃止となったのは意外でした。となりの六把野と統合して東員という駅が新設されましたが、航空写真で見る限り、人家は北大社周辺の方に多く集まっています。
 なお、シグ鉄さんの写真によれば本線の線路は1号線のみとなり、3号線が引上げ線として残されているようです。
プロフィール

モハメイドペーパー

 1946(昭和21)年生まれ、AB型、男。生息地は中央線(JR)の沿線なので、鉄道は複線で電化されているものと認識している。
 鉄道関係のライターが本業になり、今も細々ながら現役。趣味が鉄道模型製作だが、本業との境目は曖昧。

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