先週後半から少し真面目に仕事をしているのでブログは放ったらかし。ついに昨日はアクセス数が300を割りました。まぁ、ネタは準備してあるんで、そろそろゲップが出るかもしれませんが、もう一度、近鉄北勢線にお付き合いください。

1977(昭和52)年2月の西桑名です。現在の西桑名の手前で線路は右にカーブしていました。

画面右が西桑名駅、阿下喜行きが発車したところです。後方に見える桑栄メイトビルは昼飯でお世話になりました。

ホームはカーブにかかっています。到着列車は手前に止まり、客を降ろすと車庫に入って機回し、または別の編成が出てきて奥の位置に止まります。列車が据え付けられるまでは改札止めしていました。

移設される駅は5月1日から使用開始になるようです。ということは、北大社の車庫の正式な使用開始も同日付けとなるのでしょう。

逆光ですが駅正面も撮っていました。

歩道橋からなのか、車庫を垣間見ています。西桑名の写真はこれだけです。

一気に終点の阿下喜に飛びます。現在もここに保存されているモニ226が入換え中です。

阿下喜発の時点では乗客も疎らです。

昼下がりでも長編成がやってきました。

藤原岳がバックに入る、絶好のロケーションです。

モニ225の阿下喜寄りは事故復旧で2枚窓に改造されています。

入換え作業中。バックのボーリング場は現存せず、「あじさいの里」という温泉施設になっているそうです。

1991(平成3)年に訪れた阿下喜の駅舎。

なんと、線路は1本だけになっていました。

左の線路は架線がなく、保線用なのでしょう。現在はこの左の部分が軽便鉄道博物館になっています。

1965(昭和40)年、七和。サ130形は将来の制御車化を想定して一端(写真の反対側)が運転台にできる構造になっていました。

サ130形の台車。

半固定編成になった中間は連結棒でした。

朝に1本だけ見られた1M4T編成。トレーラーは3形式総出演です。

西桑名にいた有蓋貨車。ナローの貨車はすべて9000代の形式でした。
内部線は車庫も取材していますが、まだフィルムをスキャンしていません。いずれ機会をみてお目にかけたいと思います。

1977(昭和52)年2月の西桑名です。現在の西桑名の手前で線路は右にカーブしていました。

画面右が西桑名駅、阿下喜行きが発車したところです。後方に見える桑栄メイトビルは昼飯でお世話になりました。

ホームはカーブにかかっています。到着列車は手前に止まり、客を降ろすと車庫に入って機回し、または別の編成が出てきて奥の位置に止まります。列車が据え付けられるまでは改札止めしていました。

移設される駅は5月1日から使用開始になるようです。ということは、北大社の車庫の正式な使用開始も同日付けとなるのでしょう。

逆光ですが駅正面も撮っていました。

歩道橋からなのか、車庫を垣間見ています。西桑名の写真はこれだけです。

一気に終点の阿下喜に飛びます。現在もここに保存されているモニ226が入換え中です。

阿下喜発の時点では乗客も疎らです。

昼下がりでも長編成がやってきました。

藤原岳がバックに入る、絶好のロケーションです。

モニ225の阿下喜寄りは事故復旧で2枚窓に改造されています。

入換え作業中。バックのボーリング場は現存せず、「あじさいの里」という温泉施設になっているそうです。

1991(平成3)年に訪れた阿下喜の駅舎。

なんと、線路は1本だけになっていました。

左の線路は架線がなく、保線用なのでしょう。現在はこの左の部分が軽便鉄道博物館になっています。

1965(昭和40)年、七和。サ130形は将来の制御車化を想定して一端(写真の反対側)が運転台にできる構造になっていました。

サ130形の台車。

半固定編成になった中間は連結棒でした。

朝に1本だけ見られた1M4T編成。トレーラーは3形式総出演です。

西桑名にいた有蓋貨車。ナローの貨車はすべて9000代の形式でした。
内部線は車庫も取材していますが、まだフィルムをスキャンしていません。いずれ機会をみてお目にかけたいと思います。
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