1965年、私は大学の2年生で、相変わらず小田急に往復2時間以上乗っていました。カメラはほぼ毎日持ち歩いていましたが、撮影のペースは月に36枚撮りフィルムを1本か2本くらい。1枚だけ撮って終わりという日もあり、1本のフィルムにいろいろなものが写っています。

P5104175
最初のコマは小田急の和泉多摩川駅。駅舎は上り線側にありました。手前の人物は赤の他人です。公衆電話のボックスはクリーム色に屋根が赤でした。

1965-05 和泉多摩川P5104176
和泉多摩川に到着するHB車の4連。まだHB車は3連が主体で4連は2運用くらいしかなかった。左からデハ1400-クハ1450+デハ1200-デハ1200で、この編成を組むためデハ1400とクハ1450が1両ずつ、後家とやもめになってしまいます。

P5104163
少し上流側から。2220とHE車の6連です。この頃は両岸に貸ボート屋が軒を並べていました。料金は1時間100円、しばらくして東京都側(左岸)が120円になり、神奈川県側も追随しました。

1965-05 登戸 P5104164
川向こうの登戸はホーム延伸工事の真っ最中。すでに8連は運転されているから、20m車への対応ですね。停止位置目標は2、3、4、6、8とありますが、2は1800の準急の名残でしょう。

P5104168
これは別の日、東急田園都市線の溝の口です。長津田延伸に向けての高架化工事が行われていて、仮駅になっています。

P5104165
反対側、これはホームがない留置線なのだろうか。

P5104166
南武線を跨ぐ桁が架かっています。電車は登戸行き、17m車が主体でぼつぼつ20m車が入り始めていました。

P5104169
津田山あたりだろと思います。左からクハ16-クモハ41+クモハ11-サハ17-モハ10-クハ79で、クモハ41はクモハ60かも知れません。クハ16はグロベンに1箇所抜けがあるので、元クロハだった800番代です。

P5104170
ED16が牽く貨物列車。石灰石ではない一般貨物もあったのですね。架線柱は南武鉄道のオリジナルか。

P5104171
これは中之島あたりでしょう。まだ登戸~立川間は単線で、部分的に複線化工事が始まっていました。左からクモハ60-サハ17-モハ10-クハ16。戦前型の3扉車は定着せず短期間で地方線区に転出。総武線、京浜東北線から追出された73系に置換えられました。

P5104172
元モハ50のクモハ11形400番代。線路脇は梨畑が広がっています。

P5104173
これも別の日、おそらく日曜でしょう。京王線新宿駅1番線のストップ寄りです。種別表示の運板は箱サボ式ではなく、1枚ずつ掛替える方式でした。フィルムはここで終わっているので、この特急に乗ったかどうかは不明。