少々のご無沙汰になった古いネガの発掘シリーズ、今回は1962(昭和37)年11月に撮影した京王帝都電鉄の小型車で、35mm判のフィルム1本に集中して撮影しています。同級生からの借り物のあまり聞いたことのないメーカーのカメラで、シャツターは最速が1/250秒くらい、おまけに時々小雨がしょぼつく日だったので、走行シーンはほとんどがブレています。
新宿~京王多摩川間の列車だし、新宿寄り(画面右)に渡り線が見えるので、調布だろうと思います。デハ2125は両運転台で、昇圧直前まで残っていました。
ダブルルーフのデハ2165。元は2扉のクロスシートでした。京王の車両は大東急時代に2000代の形式に区分されたので、頭の2を取れば元の形式がわかります。
初台~幡ヶ谷間の甲州街道と並行しているところ、手前は玉川上水の跡です。手前はデハ2400形、となりのサハ2110形は台車が新型のTS-103に取換えられています。
同じ場所です。先頭は事故復旧で全室運転台に改造されたデハ2401で、運転室扉を設けたため客用扉が窓ひとつ分移設されています。この車両は昇圧改造されてデハ221となり、動物園線などで使用されました。
デハ2127、甲州街道から専用軌道に入ったところです。
これは新宿駅、地下化を控えて板張りホームになっています。デハ2126は火災復旧で両端とも全室運転台に改造された異端車ですが、この時点では運転台が撤去されています。扉は3枚とも木製。
デハ2126のとなりに連結されていたサハ2110。デハ2110形をサハ化したのではなく、デハ2201を電装解除でサハ2110としたもの。左端の運転室拡大で客用扉が移設され、運転室扉部分はサハ化で窓が新設されている。
デハ2130。全室運転台になっていたのが幸いし、昇圧改造を受けてクハ231になっています。左に続くサハ2120、さらにデハ2410は広幅貫通化により実質的な固定編成になっていたようです。
デハ2403。最初から3扉で新製されたので、窓割りも左右対称です。
戦災復旧のデハ2150形。ダブルルーフだったのをそのままシングルルーフに改造したもので、仇名は食パン。
デハ2125。後方のビルは小田急百貨店(現在のハルク)。新宿駅に入るカーブは半径95mだった。
サハ2110形。戦災復旧車は台車がTS-103に取換えられたので、乗り心地はよかった。
デハ2126のサイドビュー。
デハ2160。昇圧直前まで残ったが、最後は中間に入っていた。
以下は同じフィルムの最後に写っている画像です。
代々木で左が中央線緩行下り、右が山手線内回り。進入してくる中央線緩行上りを鏡に入れようとしたのですが、失敗です。山手線ホームの中程に渡り線があるのにご注目。渡り線は中央線にもあったはず。小田急SE車の第1編成は中央線緩行上りを電機の推進で来て代々木で下り線に転線、新宿まで戻って甲州街道下にあった国社連絡線から小田急に入線したそうです。
中野の急行線下りを通過するED16牽引の貨物列車。まだホームは2面で、北側には貨物用の側線がありました。
地元の高円寺。高架化工事で下りホームが阿佐ヶ谷寄りに移設されています。工事開始前は折返し用のY線があり、下り線をその部分に移し、旧下り線部分にホームが設けられています。
車体を自作したOゲージ車両の第2作目。父親が作った動力装置を流用し、交流ながらも初の2線式車両となりました。この窓配置が16番の武蔵野急行電鉄1500系に受継がれています。
新宿~京王多摩川間の列車だし、新宿寄り(画面右)に渡り線が見えるので、調布だろうと思います。デハ2125は両運転台で、昇圧直前まで残っていました。
ダブルルーフのデハ2165。元は2扉のクロスシートでした。京王の車両は大東急時代に2000代の形式に区分されたので、頭の2を取れば元の形式がわかります。
初台~幡ヶ谷間の甲州街道と並行しているところ、手前は玉川上水の跡です。手前はデハ2400形、となりのサハ2110形は台車が新型のTS-103に取換えられています。
同じ場所です。先頭は事故復旧で全室運転台に改造されたデハ2401で、運転室扉を設けたため客用扉が窓ひとつ分移設されています。この車両は昇圧改造されてデハ221となり、動物園線などで使用されました。
デハ2127、甲州街道から専用軌道に入ったところです。
これは新宿駅、地下化を控えて板張りホームになっています。デハ2126は火災復旧で両端とも全室運転台に改造された異端車ですが、この時点では運転台が撤去されています。扉は3枚とも木製。
デハ2126のとなりに連結されていたサハ2110。デハ2110形をサハ化したのではなく、デハ2201を電装解除でサハ2110としたもの。左端の運転室拡大で客用扉が移設され、運転室扉部分はサハ化で窓が新設されている。
デハ2130。全室運転台になっていたのが幸いし、昇圧改造を受けてクハ231になっています。左に続くサハ2120、さらにデハ2410は広幅貫通化により実質的な固定編成になっていたようです。
デハ2403。最初から3扉で新製されたので、窓割りも左右対称です。
戦災復旧のデハ2150形。ダブルルーフだったのをそのままシングルルーフに改造したもので、仇名は食パン。
デハ2125。後方のビルは小田急百貨店(現在のハルク)。新宿駅に入るカーブは半径95mだった。
サハ2110形。戦災復旧車は台車がTS-103に取換えられたので、乗り心地はよかった。
デハ2126のサイドビュー。
デハ2160。昇圧直前まで残ったが、最後は中間に入っていた。
以下は同じフィルムの最後に写っている画像です。
代々木で左が中央線緩行下り、右が山手線内回り。進入してくる中央線緩行上りを鏡に入れようとしたのですが、失敗です。山手線ホームの中程に渡り線があるのにご注目。渡り線は中央線にもあったはず。小田急SE車の第1編成は中央線緩行上りを電機の推進で来て代々木で下り線に転線、新宿まで戻って甲州街道下にあった国社連絡線から小田急に入線したそうです。
中野の急行線下りを通過するED16牽引の貨物列車。まだホームは2面で、北側には貨物用の側線がありました。
地元の高円寺。高架化工事で下りホームが阿佐ヶ谷寄りに移設されています。工事開始前は折返し用のY線があり、下り線をその部分に移し、旧下り線部分にホームが設けられています。
車体を自作したOゲージ車両の第2作目。父親が作った動力装置を流用し、交流ながらも初の2線式車両となりました。この窓配置が16番の武蔵野急行電鉄1500系に受継がれています。